2014年09月

山口組六代目組長を徹底批判!噂の「怪文書」を盛力健児・元直参組長が解明。戦慄の中身とは!?

盛力会長今夏、ヤクザ世界で密かに話題となった「怪文書」がある。ベストセラー『鎮魂』の著者、盛力・元山口組盛力会会長とともに、その真偽を徹底検証した!

<写真>「ただの怪文書と切り捨てられん話が含まれとる」と語る『鎮魂』の著者、盛力氏(撮影:井賀孝)





〈最近、山口組内部の動向が喧(かまびす)しい。インターネットや文書による百花繚乱(ひゃっかりょうらん)の趣きである。歯に衣を着せぬ告発合戦はとどまるところを知らない。なかでも、文書については怪文書などと呼称すべき性質のものではなく、恐ろしく正鵠(せいこく)を射た真実の告知文と呼ぶべきものである……〉

 このような書き出しで始まる文書が、ベストセラー『鎮魂 さらば、愛しの山口組』(宝島SUGOI文庫所収)の著者で、元山口組直参、「盛力会」会長の盛力健児氏(73歳)のもとに届いたのは、今年8月下旬のことだった。盛力氏が語る。
「(文書は)盆過ぎに俺の友人(山口組関係者)のところに送られてきた。俺を名指しこそせんものの、(文書の)送り主は、その友人宛に送れば必ず、俺のところに届くことを知っている人間や。そして、俺の手元に届けば、表に出してくれると思ったんやろう。
 確かにこの文書の送り主の名前は書いてへんし、出所も不明なんで、そういう意味では“怪文書”や。けれども、文章はしっかりしとるし、この中には、ただの怪文書と切り捨てられん話が含まれとる」
 文書はA4の用紙2枚に縦書きで、44字詰め70行、計約3000字にわたって綴(つづ)られているのだが、その中には盛力氏が『鎮魂』の中で明らかにした「中野太郎・中野会会長襲撃事件」(平成8年7月10日)や、「宅見勝・五代目山口組若頭暗殺事件」(同9年8月28日)についても触れられている。
 当時の山口組を震撼させたこの二つの事件はいかにして起こったか、そして日本最大の暴力団「六代目山口組」の内部では今、何が起こっているのか……。
 盛力氏が自らの体験を交え、この怪文書を解き明かす――。

■執行部、幹部の醜態、悪業の数々は目を覆うばかり
 文書は序盤から痛烈な「六代目山口組」体制批判を展開する。

〈現在の執行部、幹部の醜態、悪業の数々は目を覆うばかりである。内部の噂話、悪口はするな、他団体に関しての話題も内政干渉にあたるなどと、さも仁俠界の伝統、掟を尊重するかのような態度を偽装しているが、所詮(しょせん)は自己欺瞞(ぎまん)と無能の所産である。逆に山口組の現状を組全体や他団体に知らしめれば、自身の信頼を失墜せしめ山口組自体が崩壊し、引いては自分たちの生命の危機さえ感じているからである〉

 さらにその批判の矛先は、六代目山口組トップとナンバー2、つまり司忍・六代目山口組組長と盪垣胸福若頭(今年6月24日に恐喝罪で収監)に向けられる。

〈組内組織に京都市内で会津小鉄会を使嗾(しそう)して拳銃襲撃させた事件(中野会長襲撃事件)は、現在の司、高山の正体を如実にあらわしている。つまり、全てが虚言と裏切りで成立っていると断言できる。所謂(いわゆる)、名古屋方式である。現在の山口組体制はそのことが普通の事として罷まかり通る異常な世界なのである。一旦、自分達が窮地に陥ると、山口組は互いに傷を舐(な)めあって助けあわなければならないなどと言いつつ、その裏では自分達の利に合致しないことには、どんなに身体を張って尽くした人間に対しても平気で裏切り、追い詰め追放する。この事は、司、高山という人物が、日本古来の渡世の掟や信義を知らない事に原因が求められる〉【( )は筆者。以下同】

 そして文書はこの後、〈ここまで山口組を衰退させ仁俠界全体を落としめた司、高山両名の陰湿な姦計(かんけい)を全て述べるには紙数が足りない〉としながらも、〈中野太郎会長襲撃事件と宅見若頭殺害事件から説き起こすことにする〉と述べ、本題へと入って行くのだ。

〈当時の中野会長の言動は先鋭的であり、宅見若頭、司弘道会会長、古川組長、桑田山健組長、滝沢組長など殆どの山口組幹部は苦々しく、又、恐怖心さえ感じていた。桑田組長と盃のあった、会津小鉄会の図越会長も違った状況であるが恐怖を覚えていた〉

 ここに出てくる〈司弘道会会長〉とは当時、五代目山口組若頭補佐だった司忍・初代「弘道会」会長(現・六代目山口組組長)のことで、〈古川組長〉も同じく当時、若頭補佐を務めていた古川雅章・初代「古川組」組長(平成17年に引退、同18年に死去)のことだ。
 また〈桑田山健組長〉は、桑田兼吉・三代目「山健組」組長(平成17年に引退、同19年に死去)で、〈滝沢組長〉は、瀧澤孝「芳菱(ほうりょう)会」総長(平成20年に六代目山口組顧問、同21年に引退)のことである。
 桑田、瀧澤両組長も司、古川組長と同様に当時、若頭補佐として宅見若頭を支える山口組執行部のメンバーだった。
 そして文書は、中野会長襲撃事件の核心部分に迫っていく。

■中野会会長襲撃の首謀者は司忍・六代目……の真偽
〈そこで、当時、お人好しで少々軽いとの評のあった古川組長に司が接近し、嗾(けしか)け、桑田組長、宅見若頭に中野会長殺害を持ちかけたのである〉

 つまり文書の主は、中野会長襲撃事件の首謀者を、司・六代目山口組組長だと指摘しているのだ。そしてその理由を後段で次のように述べている。

〈何故、司はこれ程までに中野殺害に固執したのか。中野会長と司はともに大分県の出身である。司の出自、来歴について熟知していたし、とくに集団就職以後の大阪での履歴については詳細に把握しており、司にとって中野会長の存在は一生頭の上がらない目の上のタンコブだったのである〉

 だが、盛力氏はこの見方に異を唱える。
「中野襲撃の首謀者はあくまで宅見(勝・五代目山口組若頭)ですよ。ただ、司がそれ(中野襲撃)を知らんかったかといえば、そうやない。『鎮魂』を書いた時には(山口組に対する)刺激が強すぎると思(おも)て、敢えて名前は伏せたけれども、こんな文書が出回るぐらいやからもうええやろう……。
 中野が襲撃された直後、古川のマーちゃん(雅章・五代目山口組若頭補佐)と頻繁に連絡を取り合っとったのは司ですわ」
中野会長襲撃事件直後の山口組内の様子について、盛力氏は『鎮魂』の中でこう綴っている。
〈ところが、宅見に取り込まれとったんは、桑田だけやなかったんや。というのも、中野が襲撃された時、俺と親しい直参がたまたま、古川のマーちゃんと一緒におって、マーちゃんと別の(若)頭補佐とが携帯(電話)で話すんを聞いとった。
 その(盛力の親しい)直参の目の前で、マーちゃんと(別の)頭補佐は「もう(中野の)タマ(命)取ったか?」、「いやいや、死んでへん」という会話をしとるわけ。その後も、その頭補佐からは何べんもマーちゃんの携帯に電話がかかってきて、その度に「(中野は)死んだんやろ?」、「いや、それは間違いや」とかいう会話を繰り返しとったというんや……〉
 盛力が続ける。
「この〈頭補佐〉いうのが司のこと。つまり中野襲撃を仕組んだんは若頭の宅見やけど、司や桑田、古川や瀧澤ら、当時の頭補佐もみなグルやったんです」
 再び文書に戻ろう。中野会長襲撃事件について文書はこう続ける。

〈しかし、組内部での実行は動揺と不信感が増幅し組織がもたないとの判断から、(山口組は)会津小鉄会に白羽の矢を立てたのである。会津小鉄会は何故この計画に乗ったのか。客観的には図越(ずこし)会長が桑田会長との日常会話のなかから山口組内部の状況を熟知していたこと、即ち、渡辺(芳則)五代目(山口組組長)が意志薄弱で主体性に乏しく、執行部に対して強権的な発言が出来ない事、実行後の和解も容易だと踏んだからである。更に、会津小鉄会が最終決断を下した最大の理由は、図越会長が中野会長から多額の金の無心をされ断りきれずにいた事実である。併あわせて、中野会長が京都に住居を移したことと相俟(あいま)って、将来に対する不安と恐怖心が渦巻いて、永久に無心が続くならばと乾坤一擲(けんこんいってき)の勝負にでたのである〉

 ここに出てくる〈図越会長〉とは当時、「四代目会津小鉄」の若頭で、実際に中野会長を襲撃した「四代目中島会」の図越利次会長(後に「五代目会津小鉄会」会長)のことだ。図越会長は中野会長襲撃事件が起こる5カ月前の平成8年2月、前出の桑田・五代目山口組若頭補佐らと五分の兄弟盃を交わしていた。文書はこう続く。

〈この中野襲撃に関して、襲撃を受けた現場の理髪店の窓ガラスが防弾に改造されていた事実がある。これは会津小鉄の襲撃を知る若衆がひとり抜け、中野会の組員となり襲撃計画を通報し迎撃体制を整えていたのである。
 この時、会津から桑田組長に襲撃計画が漏れているから実行を延期したいと再三にわたって申し入れが行われたが、古川組長や司の姿勢は強硬で、返(ママ)って日頃の軟弱振りを糾弾され実行せざるを得なかったのである〉

■怪文書の主は五代目時代からの直参で執行部にいた人物
組織図 ここで改めて「中野会長襲撃事件」を振り返ってみよう。
 平成8年7月10日午前11時58分ごろ、京都府八幡市の理髪店に7〜8人の男たちが2台の車で乗りつけた。
 男たちは車から降りると、理髪店を扇形に取り囲み、窓ガラス越しに店内に向け一斉に射撃を開始した。
 この理髪店は、中野会長の行きつけで、この時もちょうど散髪中だった。店内には当時、中野会長と理髪店店長のほかに、会長のボディーガードで、中野会若頭補佐だった高山博武「高山組」組長(当時)がいた。
 銃撃を受け、入口近くに座っていた高山組長は拳銃で応戦。さらにその直後、近くの路上で待機していた中野会組員らの車2台が、襲撃グループを挟(はさ)み撃ちにするように突っ込み、銃撃戦となった。
 これによって襲撃犯のうち2人が射殺されたが、中野会長は奇跡的に無傷で、歩いて帰宅。後に死亡した襲撃犯2人は、四代目会津小鉄系四代目中島会傘下の「小若会」と「七誠会」組員だったことが判明した。盛力氏が再び語る。
「散髪屋の窓ガラスが〈防弾に改造されていた〉かどうかは知らん。が、中野会が事前に、中野が襲撃されるという情報を摑(つか)んでおったのは間違いない。だからこそ高山(博武組長)はすぐに反撃できたわけやし、道具をのんだ(中野会の)若い衆らがそばに待機しておったのも、この文書の言う通り、会津の〈襲撃計画が漏れ〉とったからやろう」
 そして文書はこう続く。

〈この中野会長襲撃は失敗に終わり、会津小鉄側の形ばかりの詫びを渡辺五代目が簡単に受け入れ、その根回しを宅見若頭が率先して行ったことから中野会長の疑念は深まっていく〉

 この襲撃事件を巡っては文書の指摘する通り、その日のうちに図越会長ら会津小鉄最高幹部が、神戸の山口組総本部を訪れ、謝罪。宅見勝若頭や、桑田若頭補佐ら山口組執行部と「和解」するという“異例のスピード決着”が図られた。そしてその席には前出の古川若頭補佐も同席していたという。
 この日の山口組総本部の様子については、『鎮魂』に詳しく描かれているのでそちらに譲るが、さらに文書はこう続く。

〈以前、渡辺五代目の処遇について宅見若頭からトラック一杯の現金を中野会長に届けるから一任してくれとの申し出が為されており、其(そ)の事と相俟って宅見殺害への決意が深まっていく。宅見襲撃については、中野会長は渡辺五代目の同意を得てから実行しており、事件後の中野処分について二転三転する中、執行部が五代目を責め立て結局は絶縁となったのである〉

 この宅見若頭が中野会長に申し出たとされる〈トラック一杯の現金〉、そして中野会による宅見若頭暗殺事件への〈渡辺五代目の同意〉、さらには二転三転した〈事件後の中野処分について〉も、『鎮魂』の中で詳しく述べられているのでここでは触れないが、盛力氏はこの怪文書の主についてこう推測する。
「中野襲撃や宅見暗殺についてここまで知ってるんは、五代目(山口組)時代からの直参、それも執行部におった人間やろうな。今も(山口組の)中におるかどうかは分からんけど、司(組長)や盪魁兵稙)ら、名古屋(弘道会)の体制に不満を持っている幹部か、元幹部クラスの直参に間違いないやろう」
 そして文書は再び、現在の「六代目山口組」批判に論旨を戻す……。


取材・文/西岡研介(ジャーナリスト)

(記事全文は『宝島』11月号に掲載)

福島県でなぜ「ガン死」が増加しているのか?〜誰も書けなかった福島原発事故の健康被害〜【第2回】

先月号(『宝島』10月号)に掲載した福島県内で急増する「急性心筋梗塞」のレポートは各方面から反響を頂戴した。引き続き本号(『宝島』11月号)では、全ガン(悪性新生物)の死亡者数が、これも増加傾向にある背景について検証する。

■小児甲状腺ガンはすでに多発している

 前号では、福島県で多発・急増する「急性心筋梗塞」の問題を検証したが、今回は、原発への賛成・反対にかかわらず、関心の的である「ガン」に注目してみたい。
 旧ソ連・チェルノブイリ原発事故(1986年)の際に多発が確認されたのが、「子どもたちの甲状腺ガン」である。福島原発事故においても、事故発生当時18歳以下だった福.島県民36万7707人のうち、今年6月末時点で57人の子どもが甲状腺ガンと確定した。甲状腺ガンの疑いがある者まで含めると、実に104人(良性結節1人も含む)に及んでいる。
地図A 文字有 地域別の発症率を見ると、福島市などの「中通(なかどお)り」が一番高くて10万人当たり(注1)36.4人。次いで、いわき市などの「浜通(はまどお)り」が同35.3人。原発直近の「避難区域等」が同33.5人。一方、原発から80キロメートル以上離れた「会津地方」は最も低く、同27.7人だった。放射能汚染の度合いが高い「中通り」と、相対的に低い「会津地方」では、同8.7人もの地域差がある【地図A】。
 しかし、小児甲状腺ガン調査を担当する福島県立医科大学はこの地域差を、
「被曝の影響とは考えにくい」
 としている。すでに地域差が表れている点についても県立医大は、会津地方では精密検査が終わっていない子どもたちが多く、甲状腺ガンと診断される子どもが今後増える可能性があるとして、
「地域別発症率に差がない」
 と、かなり強引な解釈をしている。
 また、被曝の影響を最も受けやすいと見られる0〜5歳で甲状腺ガンの発症がまだ一人も確認されていないこと(現時点での最年少患者は6歳)を、県立医大はことさら重視し、調査が進むにつれて甲状腺ガン患者が増え続けていく現状についても、
「被曝の影響とは考えにくい」
 と、オウム返しのように連呼している。
 ともあれ、彼らの主訴は、
“福島県で原発事故による健康被害は発生していない”
 ということなのであり、「考えにくい」のではなく、安定ヨウ素剤を子どもたちに飲ませなかった責任を追及されるのが怖い──という本音が見え隠れしている。
 そもそも、県立医大の期待どおりに会津地方でも小児甲状腺ガンが増えていくかどうかは不明である。それに、原発事故による放射能汚染は会津地方にも及んでおり、会津地方でも発症率が高まることが、直ちに被曝の影響を否定することにはならない。
 国立ガン研究センターの「地域がん登録全国推計値」によれば、子どもから大人までを含む全年齢層における甲状腺ガンの発症率は、10万人当たり年間7〜8人だという。また、事故当初、甲状腺の専門医らは、通常時における小児甲状腺ガンの発症率は「100万人に1〜2人」(=10万人当たり0.1〜0.2人)だと、マスコミ等を通じて説明していた。
 これらの数字に比べると、福島県の子どもたちだけで「10万人当たり30人以上」という調査結果はかけ離れて高く、まさに「多発」と呼ぶに相応(ふさわ)しい。福島県は原発事故以前から「小児甲状腺ガン多発県」だったという話もない。

(注1)この「10万人当たり」は、人口を分母にしての値ではない。この値を求める計算式は、分母を「1次検査の受診者数」として、分子が「甲状腺ガンやその疑いがあると診断された者の数」である。「中通り」の場合、受診者数が16万7593人で、甲状腺ガン患者数が61人なので、61÷16万7593×10万人=36.39…となり、小数点以下第2位を四捨五入して「36.4人」になる。

■福島県で増えているガンは「甲状腺ガン」だけではない

 山下俊一・長崎大学教授(現・同大副学長)も内閣府原子力委員会のホームページで書いているように、チェルノブイリ原発事故では発生の1年後、高汚染地域(ベラルーシ共和国ゴメリ州)で4人の子どもたちに甲状腺ガンが発症している。ゴメリ州の甲状腺ガン患者は、2年後に3人、3年後に5人、4年後には15人と増え、その後は爆発的に増加し、98年までに400人を超えるほどの多発状態に陥っていた。
 米国のCDC(疾病管理予防センター)では、2001年9月の世界貿易センター事件(同時多発テロ事件)を受け、ガンの潜伏期間に関するレポート『Minimum Latency Types or Categories of Cancer』(改訂:13年5月1日。以下「CDCレポート」)を公表している。これに掲載されている、ガンごとの潜伏期間を短い順に示すと、
【白血病、悪性リンパ腫】0.4年(146日)
【小児ガン(小児甲状腺ガンを含む)】1年
【大人の甲状腺ガン】2.5年
【肺ガンを含むすべての固形ガン】4年
 などとなっている。
 小児甲状腺ガンの潜伏期間は1年ほどということになり、前掲の山下報告とも矛盾しない。県立医大の唱える「発ガンは原発事故発生から4年目以降」説など、CDCからは全く相手にされていないのである。
 にもかかわらず県立医大は、一見して多く見えるのは無症状の人まで調べたことによる「スクリーニング効果」によるものであり、将来発症するガンを早めに見つけているに過ぎない、などと頑(かたく)なに主張している。
 だが、こうした「スクリーニング効果」説は、科学の定説として確立している話でもなく、単なる仮説に過ぎない。
 実は、チェルノブイリ原発事故でも「小児甲状腺ガンのスクリーニング」が実施されている。
 行ったのは、前出の山下・長崎大教授らである。小児甲状腺ガンの発症率を、事故発生当時に0歳から3歳だった子どもたちと、事故後に生まれた子どもたちとの間で比較したのだという。
 その結果は昨年3月、米国放射線防護協会の年次大会の場で山下氏が報告している。それによると、事故発生時にすでに誕生していた子どもたちの間では小児甲状腺ガンが多発していたのに対し、事故の1年後以降に誕生した子どもたち9472人の間では小児甲状腺ガンの発症がゼロだった――というのである。つまり、「スクリーニング効果」仮説は山下氏によって葬り去られていた。
 それでも「スクリーニング効果」仮説に拘(こだわ)り続けるという皆さんは、福島原発事故の1年後か2年後くらいに生まれた福島県の子どもたちに対し、山下氏がやったのと同様の「小児甲状腺ガンのスクリーニング」を行い、現在の「多発」状態と大差ない発症が見られることを実証しなければなるまい。

 それに、原発事故後に福島県で増加が確認されているガンは、何も甲状腺ガンだけではない。
表1 【表1】は、事故翌年の12年に福島県内で増加した「死因」を、国の人口動態統計をもとに多い順から並べたものだ。
 このワースト10には、「結腸の悪性新生物」(第2位。以下「結腸ガン」)と、すべてのガンの合計値である「悪性新生物」(第6位。以下「全ガン」)がランクインしている。大分類である全ガンの数字には当然、結腸ガンの数字も含まれているのだが、ともに右肩上がりの増加傾向が続いている。
 しかも、全ガンは10年との比較で11年が+19人、12年には+62人と、増加の度合いが年々強まっている(結腸ガンでは11年が+33人、12年は+75人)。そこで私たちは、前回の「急性心筋梗塞」検証に引き続き、「原発事故による被曝と発ガンには関係がない」との仮説の下、それを否定することが可能かどうかを見極めることにした。病気発生の頻度を表す物差しである「年齢調整死亡率」(注2)を、福島県内の市町村ごとに計算した上で、文部科学省による福島県内の「セシウム汚染値」(注3)の濃淡と、相関関係が見られるかどうかを調べたのである(注4)。
 今回の検証作業でも、福島県内のセシウム汚染分布に詳しい沢野伸浩・金沢星稜大学女子短期大学部教授にご協力いただいた。

(注2)本誌2014年10月号10ページ(注2)および小社ホームページ(http://blog.takarajima.tkj.jp/archives/1921954.html)参照。
(注3)同(注3)参照。
(注4)福島第一原発事故後、高汚染のためにすべての住民が避難した原発直近の7町村(双葉町・大熊町・富岡町・楢葉町・浪江町・飯舘村・葛尾村)は、解析対象から除外した。
 年齢調整死亡率は、原発事故前年の2010のものと、事故翌年の12年のものを、それぞれ計算して求めた。こうすることによって、セシウム汚染によって数値が上がったのか否かの区別がつく。
 つまり、汚染の高いところで12年の年齢調整死亡率も同時に高くなるという「正比例の関係」が見られれば、被曝との因果関係が強く疑われる――ということになる。逆の言い方をすれば、もし「正比例の関係」がなければ、原発事故とは別のところに原因が存在することを意味する。

■警戒が必要なのは「悪性リンパ腫」

図1、図2表2 その解析結果が、左に示した【図1】と【図2】である。結論は、
「セシウム137の土壌汚染密度分布と『全ガン』年齢調整死亡率の分布との間には、原発事故後、弱いながら統計的には有意(r =0.24)と言える正の相関関係が生じている」
というものだ(【表2】参照)。つまり、「原発事故による被曝と発ガンには関係がない」との仮説を否定する結果となったのである。
表3 実数で見ると、福島県で全ガンによる死者は増加傾向(【表1】)にあるものの、年齢調整死亡率で見た場合は原発事故前と比べ、横ばいで推移している(【表3】参照)。
 しかし、セシウム汚染との相関を見たグラフは、11年を境に何らかの“異変”が起きた可能性を示している。
 汚染の濃いところで10年の年齢調整死亡率が高ければ、それは放射能汚染に晒(さら)される前から死亡率が高かったことを意味し、10年のグラフの直線(回帰直線)は右肩上がりになる。12年の年齢調整死亡率がさらに上昇していない限り、「汚染との相関はない」と言える。
 10年の「全ガン」グラフ【図1】は、完全な右肩下がり(r =−0.23)──すなわち、放射能汚染に晒される以前は死亡率が低かった地域が多いということを示し、汚染との相関が全くなかったことを表わしている。
地図B図3、図4 それが、事故後の12年【図2】には右肩上がり(r =0.24)に転じていた。12年に年齢調整死亡率の増加が見られた市町村は、58自治体中33の自治体である【地図B】。右肩上がりに変わったのは、事故発生の年である11年(r =0.26)からだ【表3】。
 部位ごとにも検証してみた結果を示したのが【表3】である。全ガンと似た傾向が見られたのは、「気管、気管支および肺ガン」(r =0.23)だ。グラフを【図3】、【図4】として示すが、全ガンと同様に回帰直線が事故前と事故後で反転している。
 とはいえ、前出の「CDCレポート」のところで示したように、肺ガンの潜伏期間は「4年」である。原発事故による健康被害が現れるにしても、肺ガンの場合、事故翌年の12年では早すぎるのだ。
 何が原因であるにせよ、ここまでトレンドが反転するには何らかの相当なエネルギーが必要と思われるが、現時点ではその“エネルギー源”が「原発事故」や「放射能汚染」であると推定するには、かなり無理がある。従って、今回は現時点での検証の途中経過を示すだけにとどめ、13年以降の推移を注視していくことにしたい。
  白血病や胃ガン、乳ガンでは、現時点で全ガンと似た傾向は見られなかった。12年の死因ランキングで第2位に入っていた結腸ガンは、年齢調整死亡率が年々微増している。セシウム汚染との相関は、11年に「弱い相関」(r =0.23)があったものの、12年には「ほとんど相関がない」(r =0.04)レベルになっていた。
 気になるのは「悪性リンパ腫」(r =0.12)だ。セシウム汚染とは「ほとんど相関がない」レベルだが、そのr値がわずかながらも増加してきているのである。
「CDCレポート」では悪性リンパ腫の潜伏期間を「0.4年(146日)」としていることからも、悪性リンパ腫には今後、特に警戒が必要と思われる。

 そんなわけで、福島県でどんな部位のガンが増えたことで全ガンの増加に至ったのかは、手持ちの人口動態統計データだけでは解明することができなかった。この先の分析作業には、厚生労働省にある人口動態統計の生データが必要になる。
 ただ、このデータは一般向けに公開されておらず、国から厚生労働科学研究費をもらっているような大学などの研究者でなければ見せてもらえないのが実情だ。ぜひ、厚労省自身の手で解明していただきたい。
 次回は、福島県内の取材へと駒を進める。(以下、続く) 


取材・文 明石昇二郎(ルポルタージュ研究所)+本誌取材班
(『月刊宝島』2014年11月号より)

【訂正】
 先月号(『宝島』10月号)の本連載記事13ページの表5「福島県内の『急性心筋梗塞』年齢調整死亡率増減」の中で、昭和村の数値に誤りがありました。正しくは、2010年が10万人当たり9.84人、2012年が同12.71人でした。そのため、【図1】のr値は0.14から0.13に、【図2】のr値は0.36から0.34に訂正致します。
 また今号の【表3】中の「急性心筋梗塞」のr値は、セシウム汚染値0の檜枝岐村を除いて改めて計算し直しており、上記の訂正した値とは若干異なっています。

奨励会元三段・天野貴元氏の挑戦 がん宣告「余命1年」でも諦めない生き方

オールイン1今年3月、著書『オール・イン』を上梓した元奨励会三段・天野貴元氏。年齢制限によってプロ棋士への夢が断たれた後、末期の舌がんを宣告され、最新の治療に賭けながら「どう生きるか」を模索している天野氏に話を聞いた。



■「アマ竜王戦」で将棋の魅力を再認識

 今年3月、初の著書となる『オール・イン』(宝島社刊)を出版しました。プロ棋士を目指した私の半生を綴った内容です。
 幸いにもこの作品が7月、将棋界では歴史ある「将棋ペンクラブ大賞」に選出され、著者としてたいへん嬉しく思っています。
 私は幼少時代からプロ棋士を目指し、あの羽生善治さんを輩出した「八王子将棋クラブ」に通い、将棋の腕を磨きました。 
 10歳でプロ棋士の養成機関である「奨励会」に入会し、16歳で三段に昇段。プロとして認定される四段を目前にしながら、10年近く足踏みを続け、ついにプロ入りを果たせず年齢制限(26歳)で2012年に奨励会を退会しました。
 そして退会から1年後、今度はステージ4の「舌がん」と診断され、現在は闘病中です。
 舌を亜摘出する手術を受け、なんとか転移を食い止めようとしましたが、今年5月、PET検査にて遠隔転移が認められるとの診断を受けました。
 要するにこれはがんの「再発」です。 私は医師にどうか「余命」について教えて欲しいとお願いしました。すると医師の答えは「何もしなければ半年から1年」という答えでした。
 もちろん、何もしないという選択肢はありません。
 現在、私は抗がん剤とともに「サイバーナイフ」という最新の治療を受けています。うまく効果が出るかどうか、すぐには分からないのですが、座して待っていても局面は好転しない。いろいろな考え方がありますが、私の場合は攻めの治療を選択しました。
 プロ棋士になれなかった私ですが、いまはひとりのアマチュア選手に戻り、純粋に将棋を楽しんでいます。
 この6月には山形県の天童市で開催された「アマチュア竜王戦全国大会」(アマ最高峰タイトルのひとつ)に東京都代表として出場。惜しくもベスト16で236手の熱戦のすえ敗退(大逆転負け!)しましたが、初日の予選では最終的に優勝した福岡県の下平雅之さんに勝利するなど、自分の持ち味は出すことができたかなと思っています。
 がん患者であると同時に、舌を切除して明瞭な発声が困難な私ですが、将棋を指す分にはさほど大きな影響はありません。
 プロを目指していた奨励会時代、将棋に勝てないことは私の悩みであり、苦しみに他なりませんでした。
 しかしいま、将棋は私にとって心から楽しめる、かけがえのないパートナーとなっています。

■胸に純金を入れて放射線を照射する

 私がいま受けている治療は「サイバーナイフ」と呼ばれるもので、精密なロボットアームで放射線をピンポイントで照射する、最新の治療法です。
 従来の抗がん剤治療と違ってまだ臨床でのデータが少ないのですが、民間療法と違って保険は利きますし、医学的にも注目されている治療法です。
 体内にあらかじめ「純金」の粒を埋め込み、そこを目印にロボットが放射線を照射していくという仕組みで、痛みはないのですが、私の場合肺にがんが転移しているため、一時的に呼吸が苦しくなるということはあります。
 がん治療の現場では、医師が患者に対して「余命」を告げることはありません。しかし、私は自分の残された時間をはっきり知っておきたいと思うタイプで、医師に自ら自分の「生存可能性」を尋ねました。
 前述の通り、その答えは「何もしなければ半年から1年」ということで、それは正面から受け止めるには非常に重い内容ではあるけれども、あくまでも「何もしなければ」の話です。
 私は良い意味で医師の言葉を楽観的に解釈し、自分のなかにストレスを溜めないようにしています。

■何のために生きるか毎日考えさせられる

 いまのところ、体重が少し減ったほかはひどく体調の不良を感じるということはありません。
 しかし自分のなかで、意識、精神の変化は確実に起きているように感じます。
 たとえば日々のニュースを目にしたとき「お金」に関するニュースがあります。
 おばあさんが詐欺で大金を騙し取られたとか、スポーツ選手が何億円で契約更改した等々、世の中が経済で動いている限り、お金に関する情報は毎日何かしらあるわけです。
 しかし、いまの私にとってお金の価値は非常に低くなっています。だからそういうニュースにいまでも反応してしまう自分に、内心、苦笑してしまうのです。
 もちろんお金がまったくなければ治療も受けられないのですが、大金が欲しいとか、豪遊したいとかそういう気持ちはまったくなくなっている。そういう心境になったとき初めて考えるのは、生きていくうえで本当に価値あることってなんだろうということです。
 本にも書いたことですが、勝負の世界で「勝つ」ために真剣に努力した人は、いつか必ず「勝つこと」以上に大切なことがある、と気付くのではないか。
 結果がどうなるかは別として、いまは精一杯、諦めずに生きていきたい。その結果、いまはまだ分からない「本当に価値あること」が見つかるのではないか。私はそう感じています。

●構成/宝島編集部 ●撮影/弦巻 勝

『オール・イン』表紙「将棋ペンクラブ大賞」を受賞した
天野氏の著書『オール・イン』(宝島社刊)
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