狩猟法は、もともと、圧倒的に強い人間から動物を守るために定められた法律だ。人間が知恵を絞り全力で猟をすれば鳥獣はあっという間に絶滅してしまう。それを防ぐための法律が狩猟法なのだが、最近その趣旨が大幅に変わろうとしている。 銃の所持規制は厳しく、長年銃猟(じゅうりょう)に携わってきたベテランハンターすら、その厳しさにネを上げて銃を手放す人が増えている。
それだけが理由ではないが、この30年間で猟師の数は半減以上、中でも銃猟に関わる人の減少が際だっている。
これと比例するかのようにして増えているのが鳥獣による農作物への被害で、その金額は毎年200億円以上に上っている。最近よく言われる“狩猟圧力”の減少で人間を恐れなくなった動物が田畑山林を荒らしているのだ。
あまりの被害の大きさに営農を諦める人が現れた地域も出てきているほど。 この現状に対処するため、狩猟法の趣旨を若干変えようというのだ。保護一辺倒から適正数の維持、つまり狩猟者の減少で増えすぎた動物を一定数まで減らす、という方針に変わりつつある。
では実際の現場はどうなのか。ある日本海側の中山間地で行われた猟を見てみよう。
<寒さの中で風の音を聞きながらひたすら待ち続ける。そこへ獲物が姿を現した。一気に血が沸き立つ。狩猟の醍醐味だ>
■狩猟の作戦会議
午前8時、猟場に近いコンビニに猟師の軽トラが続々と集まり始める。ここで猟場の様子を調べに行った仲間の帰りをしばらく待つ。今日行うのは「巻き狩り」というやり方だ。
勢子(せこ)が一定の範囲にいる動物を追い出して、それを待ち構える射手が撃ち止める、最も一般的な集団猟だ。犬を入れる場合が多いが、闇雲に放す訳ではない。まずは山の状況を調べ、獲物の動きを見極めることから猟は始まる。これを“ミキリ”とか“足を見る”と言う。重要な作業だ。
ミキリが済むと作戦会議が始まる。どこから犬を入れて追い始めるか、どこに撃ち手を配置するかが決められてゆく。
作戦会議が済んで猟師の軽トラ軍団が一斉に動き出す。猟場は主要国道からほど近い低山で集落からも近い。農道に続々と猟師が集まると、それを見ていた老人が声を掛けてきた。
「あんたらイノシシようけ捕ってってやあ。あいつら悪いことばかりぎょうさんするさけえ」
集落の田畑はすべてフェンスで囲われた状態だ。ここは猪や鹿を追い払うことが出来ない老人ばかりの集落なのだ。
決められた配置にそれぞれがつくと、無線で確認をする。いよいよ犬と勢子が動き出し、猟が始まる。
一回の猟は早ければ30分ほどで決着がつく。獲物を上手く仕留めれば山からの搬出作業が始まるが、これが結構大変。道もない所から100キロ近い獲物を林道まで運び出すのだ。場合によっては1時間以上かかる重労働。また獲物に逃げられた場合は再度体勢を立て直して猟を続行する。
こうして、捕れても捕れなくても、猟師はほぼ一日中、山の中を歩き回る。歩くこと、これが猟の基本だ。
■その場で捨てられる命(シカ)
巻き狩りで捕れる獲物はシカとイノシシだ。罠猟(わなりょう)もほぼ同じ。これらの獲物は捕獲後どうするのか。基本的には猟の参加者で食べる。
解体して部位ごとに分けた肉を焼いたり煮たりして、みんなで酒を酌くみ交わしながら腹に収める。昔から普通に行われてきた行為、つまり食べるために捕るのだ。
それ以外では商売用として加工する場合もある。毛皮として売ったり薬(マタギの熊の胆)にされてきた歴史がある。しかし現在では毛皮や剥製(はくせい)の需要がほとんどない。高い加工賃を払っても売れないから、熊や鹿の毛皮はほとんど山に捨てられている。
特にシカは個体そのものが丸ごと廃棄されている場合が多い。食べて美味しいと認識されるイノシシと違い、シカはあまり猟師の間では喜ばれない。だから巻き狩りで犬がシカを追ってしまい、その結果イノシシを逃がすとがっかりするのだ。ではなぜシカを捕るのか? それは補助金がでるからだ。有害駆除といって、農林業に被害を及ぼす獣を駆除すると一頭に付き幾らかのお金が貰える仕組みがある。以前はシカ一頭に付き3000円程度の金額だった。
「こんなんじゃガソリン代や弾代にもなんねえ、馬鹿馬鹿しい」
と言って猟師達は真面目にシカを捕ろうとはしなかった。それが最近は大幅に増額されつつある。
金額は地域によって差があるが、高いところでは一頭につき1万5000円出す所もあるのだ。こうなると目の色が変わってシカを取り出すのが普通の人間だろう。今までシカに見向きもしなかった猟師までがシカを捕り始めている。
しかしシカそのものには興味がないから、ただ殺すだけであとは山に打ち捨てているケースもある。こうしてシカの数が激減した地区が実際にある。シカを大事な食材と考える猟師は怒り心頭だ。
「あいつらはただ金が欲しいだけで滅茶苦茶に罠を仕掛ける。他人の山でもお構いなしだ。それに犬が掛かったりして大変なんだ」
地域を守るための駆除行政が、補助金の高額化によって地域に軋轢(あつれき)を生んでいるのは残念なことだ。
<100キロを超える大物。数人がかりでも搬出は楽ではない>
文・写真/田中康弘
(全文は『月刊宝島』2014年5月号に掲載)
それだけが理由ではないが、この30年間で猟師の数は半減以上、中でも銃猟に関わる人の減少が際だっている。
これと比例するかのようにして増えているのが鳥獣による農作物への被害で、その金額は毎年200億円以上に上っている。最近よく言われる“狩猟圧力”の減少で人間を恐れなくなった動物が田畑山林を荒らしているのだ。
あまりの被害の大きさに営農を諦める人が現れた地域も出てきているほど。 この現状に対処するため、狩猟法の趣旨を若干変えようというのだ。保護一辺倒から適正数の維持、つまり狩猟者の減少で増えすぎた動物を一定数まで減らす、という方針に変わりつつある。
では実際の現場はどうなのか。ある日本海側の中山間地で行われた猟を見てみよう。
<寒さの中で風の音を聞きながらひたすら待ち続ける。そこへ獲物が姿を現した。一気に血が沸き立つ。狩猟の醍醐味だ>
■狩猟の作戦会議
午前8時、猟場に近いコンビニに猟師の軽トラが続々と集まり始める。ここで猟場の様子を調べに行った仲間の帰りをしばらく待つ。今日行うのは「巻き狩り」というやり方だ。
勢子(せこ)が一定の範囲にいる動物を追い出して、それを待ち構える射手が撃ち止める、最も一般的な集団猟だ。犬を入れる場合が多いが、闇雲に放す訳ではない。まずは山の状況を調べ、獲物の動きを見極めることから猟は始まる。これを“ミキリ”とか“足を見る”と言う。重要な作業だ。
ミキリが済むと作戦会議が始まる。どこから犬を入れて追い始めるか、どこに撃ち手を配置するかが決められてゆく。
作戦会議が済んで猟師の軽トラ軍団が一斉に動き出す。猟場は主要国道からほど近い低山で集落からも近い。農道に続々と猟師が集まると、それを見ていた老人が声を掛けてきた。
「あんたらイノシシようけ捕ってってやあ。あいつら悪いことばかりぎょうさんするさけえ」
集落の田畑はすべてフェンスで囲われた状態だ。ここは猪や鹿を追い払うことが出来ない老人ばかりの集落なのだ。
決められた配置にそれぞれがつくと、無線で確認をする。いよいよ犬と勢子が動き出し、猟が始まる。
一回の猟は早ければ30分ほどで決着がつく。獲物を上手く仕留めれば山からの搬出作業が始まるが、これが結構大変。道もない所から100キロ近い獲物を林道まで運び出すのだ。場合によっては1時間以上かかる重労働。また獲物に逃げられた場合は再度体勢を立て直して猟を続行する。
こうして、捕れても捕れなくても、猟師はほぼ一日中、山の中を歩き回る。歩くこと、これが猟の基本だ。
■その場で捨てられる命(シカ)
巻き狩りで捕れる獲物はシカとイノシシだ。罠猟(わなりょう)もほぼ同じ。これらの獲物は捕獲後どうするのか。基本的には猟の参加者で食べる。
解体して部位ごとに分けた肉を焼いたり煮たりして、みんなで酒を酌くみ交わしながら腹に収める。昔から普通に行われてきた行為、つまり食べるために捕るのだ。
それ以外では商売用として加工する場合もある。毛皮として売ったり薬(マタギの熊の胆)にされてきた歴史がある。しかし現在では毛皮や剥製(はくせい)の需要がほとんどない。高い加工賃を払っても売れないから、熊や鹿の毛皮はほとんど山に捨てられている。
特にシカは個体そのものが丸ごと廃棄されている場合が多い。食べて美味しいと認識されるイノシシと違い、シカはあまり猟師の間では喜ばれない。だから巻き狩りで犬がシカを追ってしまい、その結果イノシシを逃がすとがっかりするのだ。ではなぜシカを捕るのか? それは補助金がでるからだ。有害駆除といって、農林業に被害を及ぼす獣を駆除すると一頭に付き幾らかのお金が貰える仕組みがある。以前はシカ一頭に付き3000円程度の金額だった。
「こんなんじゃガソリン代や弾代にもなんねえ、馬鹿馬鹿しい」
と言って猟師達は真面目にシカを捕ろうとはしなかった。それが最近は大幅に増額されつつある。
金額は地域によって差があるが、高いところでは一頭につき1万5000円出す所もあるのだ。こうなると目の色が変わってシカを取り出すのが普通の人間だろう。今までシカに見向きもしなかった猟師までがシカを捕り始めている。
しかしシカそのものには興味がないから、ただ殺すだけであとは山に打ち捨てているケースもある。こうしてシカの数が激減した地区が実際にある。シカを大事な食材と考える猟師は怒り心頭だ。
「あいつらはただ金が欲しいだけで滅茶苦茶に罠を仕掛ける。他人の山でもお構いなしだ。それに犬が掛かったりして大変なんだ」
地域を守るための駆除行政が、補助金の高額化によって地域に軋轢(あつれき)を生んでいるのは残念なことだ。
<100キロを超える大物。数人がかりでも搬出は楽ではない>
文・写真/田中康弘
(全文は『月刊宝島』2014年5月号に掲載)