たとえ老人ばかりでも、組員がいるだけまだマシ――これが暴力団の現状
日本社会が少子高齢化すればヤクザ社会が高齢化するのも必然なのだが、その実態は想像をはるかに超えるものだった。“老人ホーム”と化す暴力団の内情をヤクザ専門ジャーナリストが明かす。

P44-45ヤクザ1 昨年、都内の暴力団事務所を取材した時だ。
 組長室に通され親分を待っていると、お茶を運んできた組員が年配を通り越し、老人といっていい年齢だった。通常、こうした丁稚奉公(でっちぼうこう)的役割は新入りの仕事である。まだ暴力団に染まりきっていない若者が、ヤクザ修行の一環として担当する。
 すぐ近くに「おばあちゃんの原宿」と呼ばれる巣鴨地蔵通り商店街があったので、ひどく印象に残った。その組員は、そのままとげぬき地蔵にいても、まったく違和感がなかったからだ。
 組長への取材を終え、応接間に案内された。
 幹部たちを紹介されたが、すべて組長より年上の「若い衆」だ。よくみると事務所内に若者がいない。ヤクザは年齢に関係なく、先に盃をもらった人間が先輩である。長幼の序は無関係で、弱肉強食の実力主義なので、器量さえあれば年上を従えることができる。
 が、幹部から末端まで、構成員のすべてが世間でいう年金受給者といった風景になるのは、単純に若い人間が集まらないからだろう。
「いまの若いヤツにヤクザはつとまらない」
 諦(あきら)め気味に組長は言った。
「会社に勤めるような感覚で、給料が欲しいとか休みをよこせとか言いやがる。ちょっと怒鳴ればすぐバックレる。使えるのはそれなりの年齢の人間だけだ」

P44-45ヤクザ2 実際、暴力団社会は急激に高齢化している。
 2011年8月、道仁会と九州誠道会の抗争で、道仁会会長宅に乗り込んだヒットマンは78歳だった。二丁拳銃とマシンガンを所持し、侵入した庭で手榴弾を爆発させるというランボーのような犯行により懲役25年の判決となったが、刑期を満了するのは105歳だ。当人も獄死は覚悟していただろう。
 こうしたヤクザ高齢化の状況を反映して、『ジジゴク』というジジィの極道を主人公にした漫画も生まれた。今年4月に封切り予定になっている北野武監督の最新作『龍三と七人の子分たち』も、年老いたヤクザたちのコメディだ。

■親分は死ぬまで引退しない……完全な糞詰まり
 日本全体が少子高齢化なのだから、暴力団だって高齢化するのは当然ではある。が、急激に若年層が減少したのは他にも理由がある。
 最もわかりやすいのは、もはやヤクザでは食えないという厳格な事実である。
 組織の代紋はフランチャイズのようなものだが、暴対法や暴排条例といった法整備が進み、看板を使ってシノギをすれば逮捕されてしまうようになった。というより、暴力団の関係者と認定されれば、銀行口座を持てず、アパートさえ借りられず、もはやまともな社会生活さえ送れない。
 そのうえ、組織の上がいつまでたっても辞めない。定年がなく、たとえ寝たきりになっても、死ぬまで親分が引退しないので、完全な糞詰まりである。それなりのキャリアの人間に立場を与えなくてはならないが、辞める人間がいないので役職を乱発することとなり、顧問や副会長が100人いたりする。
 ボケ老人になってさえ引退せず、絶対の権力を持ったまま迷走し、そのせいで組織が分裂してしまった例もある。
 親分たちが死ぬまで座布団を手放さないのは、暴力団組織がネズミ講のような集金システムとして機能してきたからだ。
「事件が起きた時に芋づる式に捕まらないよう、偉い人間はなにも知らないし、何もしない。でかい組なら、トップから3人までは何もしなくても上納金で飯が食える」(広域組織幹部)
 ヤクザの上層部にとって、シノギとは、すなわち若い衆に他ならない。しがみつきたくなるのはわかるが、若手からすれば複雑だろう。
 暴力団特有の一発逆転劇もなくなった。
 かつてヤクザ同士の暴力団事件は、一般のそれと比較して刑が安かった。が、裁判での量刑は年々引き上げられ、暴力団という属性があると、どんな事件も刑期が5割増しになる。現在、暴力団抗争殺傷事件を起こすと、1人殺しても無期懲役が相場だ。
 体を懸けて長い懲役を務めあげれば、幹部のポストが約束され、黙っていても金が入るという将来像は完全に崩れた。
 暴力だけが取り柄の人間は、暴力団からもはじき出される。

■組に忠誠を誓っても何のフォローもない完全な末期症状
 半グレというヤクザ未満の集団が跋扈(ばっこ)したのも、暴力団社会があまりにも理不尽だからに違いない。搾取が永遠に続き、体と時間はおろか、金や命までとられて何の見返りもないのだから、組織に所属するメリットは見あたらない。
 組織内部の機能不全は、そのまま暴力団の弱体化にも繋がる。報復と沈黙をモットーに、組員が凶悪事件を起こすのは、アフター・ケアがあってこそだ。
「いまじゃ組のために懲役に行っても、家族の面倒すら見てもらえない。ただの使い捨てだから、誰も体を懸けようとしない。ヤクザ組織の強い弱いなんて、結局そこしかない。後々若い衆が警察にペラペラ喋るのはそういうこと」(新宿の暴力団組長)
 かつてなら警察の厳しい取り調べに抗い、裁判で不利になることを承知で黙秘を続けていた暴力団員も、今は逮捕されれば誰に遠慮することなく一部始終を喋るようになった。魅力のない業界に、人材が集まるはずがない。人材がいなければ、ただ衰退する。悪循環だ。
「東京オリンピックがあるから、ヤクザを辞めるのは損だと言われてる。まだなんとか食えるだろうと思う。けどそれから先はお先真っ暗だ。名簿に載っている組員の半分もいればまだまともで、実際は連絡さえつかないんじゃないか」(広域組織幹部)
 放置しておいても、暴力団はどうせ立ちゆかない。たとえ老人ばかりでも、組員がいるだけまだマシだろう。
 もはや暴力団対策は、警察のシノギと表現するのが、もっとも正確かもしれない。

取材・文/鈴木智彦
(『宝島』2015年3月号より)