本誌先月号の「大特集 百田尚樹の正体!」は大きな反響を呼んだ。特に『週刊文春』が故・やしきたかじんの長女の手記を『殉愛』作家・百田尚樹の圧力でお蔵入りさせたことは、多くの人々に驚きを与えたようだ。
 作家タブーに右往左往する出版社系週刊誌だが、情けないのは『週刊文春』だけではない。週刊誌としては『週刊文春』と双璧をなす、新潮社の看板雑誌『週刊新潮』も負けず劣らず、酷(ひど)いものだった。

■疑惑検証をせずに「殉愛」コンビの主張を丸呑み
『週刊新潮』は13年9月から百田の連載小説「フォルトゥナの瞳」を掲載、その後単行本化している。そのため、新潮社に大きな利潤をもたらしてくれる百田は“大作家センセイ”であり、当然「殉愛騒動」に関しても同誌は沈黙を守ってきた。
 その禁が破られたのは14年12月18日号だ。「故やしきたかじん『遺族と関係者』泥沼の真相」との特集記事を掲載した同誌だが、その内容は思った通り百田とさくら夫人双方を登場させ、2人の一方的主張を垂れ流すものだった。コワモテとしてならした『週刊新潮』が、百田に最大限配慮したであろうチョウチン擁護記事――。
 だがしかし、同誌発売後の12月23日、百田は自身のツイッターでこう不満をぶつけたのだ。
「今、私がいくら本当のことを言っても、多くの人は聞く耳も持たないだろう。『フラッシュ』と『週刊新潮』にはすべて真実を話したのに、記事は全然違うものにされた」
 百田やさくら夫人に疑惑を釈明させ、それをほとんど検証もせず記事化したとしか思えない『週刊新潮』の記事だが、その裏で一体何が起こっていたのか。そしてどこが「全然違う」のか。
「そもそもこの記事は百田自身が編集部に持ち込み、ゴリ押しで掲載させたものでした。しかし、その後はトラブル、ドタバタの連続だったのです」
 こう話すのは「殉愛騒動」に詳しい出版関係者だ。『週刊新潮』編集部に百田から「ネットで騒がれているさくら夫人の重婚疑惑や筆跡鑑定について反論したい」と反論インタビューの依頼があったのは昨年11月半ばだったという。
「すでにネットでは、さくら夫人のブログや過去写真など数々の証拠物とともに多くの疑惑が流布していた時期でしたし、編集部としては触らぬ神に祟(たた)りなし。『殉愛騒動』などには一切触らず、やり過ごすという雰囲気だった」(前出、出版関係者)
 そんなところに降って湧いた百田本人からの取材依頼である。編集部としても自社から作品を出版する売れっこ作家・百田の依頼を無下に断わるわけにはいかない。
「しかも当初、百田が要求したのは、百田自身の単独インタビューだったようです。しかし、いくらなんでも百田の一方的な主張を掲載したら大きな批判が予想される。現場は頭を抱えたらしい。そして苦肉の策として、検証的な記事でさくら夫人を登場させるという線で百田を説得したのですが……」(前同)
 こうして出来上がった記事だったが、案の定、百田とさくら夫人の主張に沿っただけのものだった。
 例えば、さくら夫人の「たかじんとイタリア人男性との重婚疑惑」については、イタリア人男性との離婚届の受理証明書を掲載、12年3月1日に離婚が成立していること、さらにたかじんと結婚したのが13年10月であり“さくらさんに重婚の事実はない”と疑惑を否定させた。
 さらに、たかじんとつき合いはじめた後もイタリア人夫と仲睦(なかむつ)まじく結婚生活を続けていた(注:さくら夫人の過去ブログで判明)という不倫疑惑についても、「私とそのイタリア人男性は結婚の翌年の夏頃にはうまくいかなくなり、翌春には別居状態になっていました」(さくら夫人)などと、都合よく釈明させてもいる。
 さらに、たかじんが書き遺したとされる“たかじんメモ”の偽造疑惑に関しても、「この“疑惑”についてもすでに答えは出ている」と早々に“シロ”と断定した。
 しかし、その根拠は情報サイト「探偵ファイル」が依頼した筆跡鑑定の結果をなぞっただけ。こうしたセンシティブな問題に対しては、本来メディア側の再検証が不可欠だが、『週刊新潮』はそうした検証もせず、ネットメディアの情報に丸乗りする形で断言してみせたのだ。
 ジャーナリズム精神のかけらもない、百田やさくら夫人の言い分に従っただけに見える記事だが、実はこの記事自体がお蔵入りする可能性さえあったというのだ。

■次々と変遷するさくら夫人の証言に翻弄され
 事情に詳しい週刊誌関係者が、その内幕をこう明かす。
「自身の単独インタビューを諦(あきら)めた百田ですが、今度はさくら夫人だけの単独告白記事を要求してきたのです。そして『週刊新潮』はこれを一度は了承した」
 さくら夫人へのインタビューは5時間にも及ぶものだったという。しかし、その内容は週刊誌としては“使えない”ものだった。
「なにしろ、さくら夫人の証言は二転三転したらしいですからね。例えばイタリア時代のブログについても、『家族を安心させるためだった』と言っていたのが、なぜか『途中でやめたが、友達が勝手に更新した』『妹が勝手に更新した』と変遷……辻褄(つじつま)が合わないことの連続だったようです」(前出、週刊誌関係者) 
 しかもインタビューでは語らなかった事実が、ネットで連日のように暴かれていく。これでは記者と取材対象者の信頼関係が築けないのは当然で、通常の取材なら企画自体がボツになっていたはずだ。その後、菅原文太が死去(11月28日)したことで追悼記事を急きょ入稿することになり、いったんは「殉愛」原稿は流れるかに見えた。
「しかし、それを察知したのか、百田は新潮社の上層部、『週刊新潮』の編集長などに対して、原稿掲載を強く要請、懇願したそうです」(前同)
 その間もネットでは新たな疑惑が次々と浮上していく。そのため再度さくら夫人に話を聞くことになったが、それでも状況は変わらなかった。
「さくら夫人には『ネットではこう言われてますが、本当はどうなのか』という質問を繰り返したようです。しかし、結婚歴について聞くと『ストーカーが』『レイプされそうになって』などど、話自体がよく分からないものだった。
 さらに帰化した時期(注:ネットでは韓国籍から日本国籍への帰化が指摘されていた)や“さくら”という改名についても、理解しがたい説明を繰り返したようです」(前同)
 このままさくら夫人の単独インタビューを掲載することは『週刊新潮』もさすがに躊躇(ちゅうちょ)したのだろう。たかじんの長女(注:遺産相続や『殉愛』の内容を巡って百田、さくら夫人側と対立)からコメントをもらうなど、周辺取材を行い、検証記事の体裁を取らざるを得なかったという。
 百田とさくら夫人に翻弄(ほんろう)され毅然(きぜん)とした態度に出られない『週刊新潮』の姿勢には呆れるばかりだが、しかしさくら夫人はなぜか校了直前、記事内容の大幅な差し換えを要求するという厄介事も起こしていたのだ。

■校了直前に原稿の書き換えをねじ込む
 ある新潮社関係者がこう打ち明ける。
「問題となったのは、たかじんの自宅に置いてあった2つの金庫の中にあったという2億8000万円に関する記述だったようです。2つの金庫のうち“たかじん用”の1億円は当初から遺産に含まれていましたが、“さくら夫人用”とされる1億8000万円を、さくら夫人は“自分のものだ”と主張しています。
 さくら夫人は『週刊新潮』のインタビューに際して、『1億8000万円のうち1億円は乳腺炎になったり、耳が聞こえなくなったために主人から貰った慰謝料』『残り8000万円は伯父から貰ったもの』と説明していました。当然、原稿もそれに沿った記述だった。しかし校了直前、全く違う内容に書き直したいと言ってきたのです」
『殉愛』では、伯父から“借りた”額は5000万円であり、一部報道ではさくら夫人は乳がんを患ったとされているが、まあ、それはおいておこう(笑)。実際に『週刊新潮』に掲載された2億8000万円に関するさくら夫人のコメントは、以下のようなものだ。
「私と主人は業務委託契約を交わしていましたが、それはただの書類に過ぎず、私は1円ももらっていません。一方、2人の生活費として主人は毎月、いくばくかの現金を私に渡していて、私がやりくりする中で余った分は、100万円ずつまとめてリボンにくるみ、主人が私の金庫に入れておいてくれたのです。それに加えてクリスマスや私の誕生日には、病気でどこにも連れて行ってあげられないから、と300万円を金庫に入れておいてくれたりもしました」
 何度読んでも「業務委託で1億8000万円」なのか、「生活費の余剰をリボンでくるんだ100万円」は貰ったものなのか、「300万円」はどんな扱いなのか、よく分からない。それも当然かもしれない。校了直前になって編集部にねじ込んで書き換えさせたこの“1億8000万円”こそ、さくら夫人が証言を変遷させる理由の“鍵”を握っていたからだ。

文/宝島「殉愛騒動」取材班
(全文は『宝島』2015年3月号に掲載)


P16-21たかじん
<写真>
「OSAKAあかるクラブ」のイベントで熱弁をふるうたかじん(2011年8月29日撮影)