■1行たりとも報じようとはしなかった
「今回の『殉愛』騒動での、週刊誌の腰抜けぶりは、出版界に依然“作家タブー”が存在することを世に広く知らしめた。それが、百田(尚樹)さんがあの本を出した唯一の功績でしょうか」
 こう自嘲気味に語るのは大手出版社幹部だ。
 この幹部の言う『殉愛』(幻冬舎)とは、ほかでもない、『永遠の0』や『海賊とよばれた男』など、出す本、出す本、すべてが売れるベストセラー作家の百田尚樹センセイが、「関西の視聴率王」と呼ばれた故やしきたかじん(2014年1月3日死去)と、彼が亡くなるまでの2年間、支え続けた妻「さくら」との〈愛の物語〉を描いた〈純愛ノンフィクション〉のことだ。
 さくらから、たかじんの“遺志”として、執筆依頼を受けた百田センセイは、さくら自らが語る〈人生のすべてを捧げた〉献身的な介護話に大感激。〈2年先まで埋まっている〉出版スケジュールをすべて延期し、〈300時間以上の取材〉(後に200時間以上に訂正)を経て、書き上げたという。
 本の中で百田センセイは〈読者にはにわかに信じられないかもしれないが、この物語はすべて真実である〉と大見得を切り、版元の「幻冬舎」(見城徹社長)も〈かつてない純愛ノンフィクション〉と大宣伝。
 発売当日に「金スマ」(TBS)で、この〈愛の物語〉を延々2時間再現するという、あざとさ満開の“幻冬舎プロモーション”が奏功し、11月7日の発売から1カ月足らずで、初版25万部を完売する勢いなのだ……。
 と、ここまではよかったのだが、発売直後からネットでは、この『殉愛』、そして主人公の「さくら」に対する疑惑が噴出した。それらの疑惑については、本特集(月刊誌『宝島2月号』「大特集 百田尚樹の正体!」)の巻頭記事を読んでいただきたいが、この騒動がネットの世界を飛び出し、広く知られるようになったのは、この本を巡って、たかじんの唯一の実子である長女が、版元の幻冬舎を提訴するに至ったからだ。
「殉愛」の中で、さくらに対し横柄な態度で、関西弁の暴言を浴びせ、カネに汚い「中年女性」として書かれた長女は、同書発売から2週間後の11月21日、『殉愛』によってプライバシーを侵害され、さらには虚偽の事実を書かれたことによって名誉を毀損されただけでなく、遺族としての「敬愛追慕の念」をも侵害された──として幻冬舎に対し、出版差し止めと損害賠償を求める訴えを起こした。
 人気作家が書いた、亡くなった有名タレントの〈ノンフィクション〉で、その遺族から訴えられるなど、前代未聞のスキャンダルだ。が、本来ならこの種の醜聞に真っ先に飛びつき、嬉々として報じるはずの『週刊文春』や『週刊新潮』、『週刊現代』や『週刊ポスト』など、出版社系週刊誌は、長女の提訴から2週間近く経たっても、1行たりとも報じようとはしなかった。

■読者の失笑を買った天下の『週刊文春』
 前出の出版社幹部が語る。
「これがいわゆる“作家タブー”というものです。『文春』では年末の新年合併号から百田さんの連載小説が始まり、『新潮』では『フォルトゥナの瞳』(連載小説)が終わって単行本が出たばかり。さらに(『週刊現代』の版元である)講談社は『海賊とよばれた男』、『永遠の0』の版元で、小学館も『SAPIO』などで百田さんには世話になっている。
 出版不況の昨今、各(出版)社に対する人気作家の影響力は絶大で、各社とも自社の週刊誌がこのスキャンダルを報じて、百田さんの逆鱗(げきりん)に触れ、連載を止められたり、版権を引き上げられることを恐れ、“自主規制”しているんです」
 なるほど、どうりで普段は他人様のプライバシーを暴き立てることに血道を上げる週刊誌が、今回ばかりはおとなしいはずだが、このお寒い状況にキレたのが、大物作家の林真理子氏だった。
 なんと、百田センセイの連載欲しさにダンマリを決め込んでいる『週刊文春』誌上で、当の『文春』をはじめとした週刊誌批判をブチ上げたのだ。
 林氏は『文春』で長期連載中のエッセイで、さくらの重婚疑惑など一連の『殉愛』騒動に触れた後、こう述べる。
〈意地悪が売りものの週刊新潮も、ワイドの記事すらしない(百田氏の連載が終わったばかり)。週刊文春も一行も書かない(近いうちに百田氏の連載が始まるらしい)。
 あと講談社が版元の週刊現代は言わずもがなである。週刊ポストも知らん顔。こういうネタが大好きな女性週刊誌もなぜか全く無視。大きな力が働いているのかと思う異様さだ〉と、“作家タブー”の存在を匂わせたうえで、「従軍慰安婦問題」や「吉田調書問題」で、週刊誌が『朝日新聞』を袋叩きにしたことを例に挙げ、こう批判するのだ。
〈私は全週刊誌に言いたい。もうジャーナリズムなんて名乗らない方がいい。自分のところにとって都合の悪いことは徹底的に知らんぷりを決め込むなんて、誰が朝日新聞のことを叩けるだろうか〉
 これだけ徹底した週刊誌批判を、当の週刊誌誌上においてできるのは、彼女の実力、そして胆力のなせる業だろうが、自誌の連載執筆者から真っ向から批判されたのが、よほど恥ずかしかったのだろう。『文春』は翌週の号(12月18日号)でようやく、この『殉愛』騒動を取り上げるのだ。
 ところが、そのタイトルは、
「『林真理子さんの疑問にお答えします』百田尚樹」
 と、文字通り百田センセイの独演会。センセイは件(くだん)の重婚疑惑について〈彼女は二〇〇八年十二月にイタリア人男性と日本で入籍し、二〇一二年三月に離婚しています。たかじん氏と入籍したのは二〇一三年十月。重婚の事実はないのは明白〉と主張。イタリア人夫との結婚、離婚の事実を書かなかったのは、たかじんが〈妻のプライベートは公表したくないとも考えていた〉からと釈明したのだ。
 が、これは明らかに問題のすり替えと言わざるを得ない。そもそもネットでは重婚疑惑よりむしろ、〈純愛〉を売りモノにするさくらの“不倫疑惑”のほうが問題視されていたからだ。
 というのも、さくらがたかじんと初めて会ったとする11年12月時点で、イタリア人夫との仲睦まじい様子を、さくら自身がブログにアップしていたからにほかならず、このさくらの“二股”状態について、百田センセイは、何ら説得力のある説明ができていない。
 にもかかわらず、『文春』は〈ただ彼女にどんな過去があろうと、たかじん氏最後の二年間を他の誰よりも献身的に支えたことは紛れもない事実です〉などというセンセイの主張をただタレ流すだけなのだから、これでは読者の失笑を買うのも無理はない。
P32-2林真理子


<『殉愛』の疑惑に斬り込まない週刊誌に正論を説いた林真理子氏>







■『週刊新潮』も言い分を丸飲み
 ライバルの『週刊新潮』も林氏の叱責にバツの悪さを感じていたのだろう。
 こちらは〈故やしきたかじん「遺族と関係者」泥沼の真相〉(12月18日号)と左トップ5ページで大々的な特集を組み、「検証記事」の体裁をとっているものの、その内容といえば、『文春』同様、百田センセイのお話とさくらの主張に丸乗りするものだった。
“重婚疑惑”については、もう一方の当事者であるイタリア人夫を取材することもなく、さくらから提供された離婚届の「受理証明書」だけを根拠に、〈「重婚」の事実は全くなかった〉と断定し、メモの“捏造疑惑”も、自ら検証することなく、ネット情報をそのまま拝借。それでいて〈ネットを騒がせている「重婚疑惑」と「メモ偽造疑惑」はいずれも事実ではなかったわけだ〉などと勝手に納得しているのだから噴飯モノだ。
 さらに、前述のさくらの“不倫疑惑”については、本人の「私とそのイタリア人男性は結婚の翌年の夏頃にはうまくいかなくなり、翌春には別居状態になっていました」「そういう状況になっていることは私の家族には話せなかった。だから私は家族を安心させるために、わざと和気藹々とした写真などをブログにアップしていたのです」という、苦しい言い訳をそのまま掲載。林氏の言う〈意地悪が売りものの〉新潮にしては、気持ち悪いほど素直なのだ。
 そして林氏から〈言わずもがな〉と揶揄された講談社発行の『FRIDAY』(12月26日号)に至っては、「家鋪さくら独占手記『重婚疑惑 直筆メモ捏造疑惑 すべてに答えます』」と題し、さくらから提供されたたかじんとさくらのツーショット写真をふんだんに使い、8ページにわたって大展開。
 その内容はもはや〈言わずもがな〉だが、誌面ではたかじんの遺言書の写真まで掲載し、〈妻・さくらは、不動産、株などを含む残りの財産すべてを相続するというわけである〉と、さくらの相続の“正当性”を強調。返す刀で〈すなわちたかじん本人の遺志で、Hさん(編集部注:長女)への財産分配は行われないことを意味しているのである〉と、百田センセイよろしく、さくらの主張を代弁するのだ。さくらと長女が現在、遺産をめぐって係争中であるにもかかわらず、である。

■『朝日』『毎日』はマジメに事実を追及
 一方、これら百田センセイに気に入られようとちぎれんばかりに尻尾をふる出版社系週刊誌とは対照的に、気を吐いたのは『サンデー毎日』や『週刊朝日』など新聞社系週刊誌だった。
 『毎日』(12月14 日号)は〈たかじん死して「骨肉の争い」勃発〉と題し、長女が『殉愛』の版元、幻冬舎を訴えた訴訟の内容を詳報。一方の『朝日』(12月19日号)はさらに踏み込み、〈スクープ! 渦中のやしきたかじんさんの長女 独占初激白 「百田尚樹さん、事実は違う。なぜ、私に取材しなかったのか」〉とのタイトルで長女のインタビューを掲載し、百田センセイとさくらの主張に真っ向から反論したのだ。さらに第2弾(12月26日号)でも、さくらが、「OSAKAあかるクラブ」に遺産2億円の寄付を放棄するように迫り、そこにはなんと百田センセイも同席していた──とのスクープを報じた。
 しかし「殉愛」の内容に疑問を呈したのはこれら両誌に、たかじんと交流のあった作詞家の及川眠子氏や、元マネージャー・打越もとひさ氏のコメントを掲載した『週刊SPA!』(12月2日号)を合わせた3誌のみ。
 作家タブーに屈服し“自主規制”した出版社系週刊誌は、林氏の言う通り〈もうジャーナリズムなんて名乗らない方がいい〉と小誌も思う。
 が、実は、当の百田センセイ自らが“記事潰し”に関与していたというから驚きだ。

■たかじん長女の手記が校了直前で掲載見送りに
 その舞台となったのは、ほかでもない、新年合併号からセンセイの連載が始まるという『週刊文春』だ。事情を知る文藝春秋関係者が語る。
「実はたかじんが亡くなった直後から、さくらの素性に疑いを持ち、いち早く報じてきたのが、いまや百田さんの“広報誌”と化してしまった『週刊(文春)』(文藝春秋社内では月刊『文藝春秋』と区別するためにこう呼ばれる)でした」
『週刊文春』は、たかじんがガンで再休養していた13年末段階から「長期療養中やしきたかじん 再々婚した32歳下一般女性の正体」(12月19日号)、たかじんの死後も「やしきたかじん『参列者5人』葬儀の謎」(14年1月23日号)、「親族から噴出 やしきたかじん32歳下未亡人への怒り  遺骨を『マカロンみたい』」(同年2月6日号)と、さくらの正体や、彼女と遺族との確執について詳報し、まさに独走状態だった。前出の関係者が続ける。
「そして『週刊』は、さくらに対するトドメの一撃として、昨夏のお盆休みの合併号に、たかじんの長女の手記を掲載する予定でしたが、校了直前になって掲載が見送られたのです」
 関係者によると、『文春』では、長女の手記を記事にまとめた後、最終的な事実確認のため、さくらが、たかじんの生前から同居していた大阪のマンションを訪問。取材を申し込んだという。関係者がさらに続ける。
「ところがその直後に、編集部からストップがかかり、取材班は大阪から撤退。記事掲載も見送られたのです。
 表向きの理由は『さくらと長女は現在、遺産をめぐって係争中で、法務(部門)が係争中の案件を記事にするのはまずい、と難色を示した』というものでした。が、さくらと長女が遺産をめぐる係争中であることは企画段階から分かっていた話ですし、そもそも『係争中』を理由に記事掲載を見送っていたら週刊誌など作れない。編集部内でそんな“理由”を信じる者は誰一人、いませんでした。
 これは後になって社内で分かったことですが、取材班がさくらに取材を申し込んだ直後、百田さんから新谷(学『週刊文春』)編集長の携帯に直接、電話があったそうです。おそらく、さくらから依頼を受けてのことでしょう」
 それ以降、『文春』編集部では「さくら」がタブーとなり、今や百田センセイの“広報誌”と化したことは前述の通り。
 この記事潰し疑惑について取材班は『殉愛』版元の幻冬舎を通じ、百田センセイに確認したが、センセイは自らが新谷編集長に電話を入れた事実も、さくらから記事潰しを依頼されたという事実も否定した。
 冒頭に登場した大手出版社幹部が最後にこう語る。
「今回の騒動では、作家タブーを抱える週刊誌がネット民に完全に敗北したことが明らかになりました。これも『殉愛』の数少ない功績なのかもしれません」
 これら様々な出版社の“お家の事情”を白日の下に晒したという意味では、悪
評紛々の『殉愛』も少しは世の中の役に立ったのかもしれない(文中一部敬称略)。

文/宝島「殉愛騒動」取材班

(『宝島』2015年2月号「大特集 百田尚樹の正体!」より)

P32-3週刊誌


<大手週刊誌はようやく重い腰を上げるも大半は百田センセイ&さくら氏の“代弁者”に成り下がった>