実際に施設を見た読者はもう少ないかもしれない。あるいは父親のアルバムに貼ってある記念写真で見ただけ、という世代の方もいるのではないか。70年代から80年代にかけ、全国の温泉場や観光地に続々と建設された巨大なエロスの殿堂「秘宝館」。それが今、絶滅の危機にある。
<写真>
嬉野武雄観光秘宝館の7000万円かけた「ハーレム」。宮殿と噴水の中で全裸の男女が交歓する巨大パノラマだが、閉館とともに破壊された。
■残りはわずか2館 鬼怒川秘宝殿も危ない!
男女の肉体構造の違いや生殖の神秘、そして各地に点在する性的風習、民芸。それらを立体造形物にして巨大な建物の中でパノラマ的に展示した施設が「秘宝館」だ。性器やセックスそのものを表現した展示は刺激的だが、大笑いできるユーモアがある。
団体バス旅行がブームだった頃が最盛期で、全国に約20カ所あったとされる。
しかし今年3月、佐賀県嬉野市にあった西日本最大の施設「嬉野武雄観光秘宝館」が閉館、日本に残存する秘宝館は「鬼怒川秘宝殿」と「熱海秘宝館」のわずか2館となってしまった。
「実物を見ようと考えるなら、まず鬼怒川秘宝殿に行くべきです。来館者が少なく、今もっとも閉館の危機が迫っているからです」
警鐘を鳴らすのは映画監督の村上賢司氏。秘宝館マニアであり、これまで伊勢の「元祖国際秘宝館」や定山渓谷温泉の「北海道秘宝館」をDVDに撮った。12月には前出の「嬉野武雄観光秘宝館」のドキュメンタリーDVDが発売になる。
「経営母体がしっかりしている熱海秘宝館は新しい装置を導入するなど、リニューアルを続けていて、当分大丈夫。鬼怒川と熱海は建造に携わった会社が違うので、見比べると設計思想の違いが分かる。だから鬼怒川を見ておいたほうがいいんです」(村上氏)
■大手企業が建造に関わり女性客を重視して設計
最初の秘宝館は1972年に造られた伊勢の「元祖国際秘宝館」だ。同館の展示物には島津製作所の子会社である京都科学標本が携わり、医学標本の精巧さが際立った。対して、後に各地に続々と作られた秘宝館の多くを手がけたのは、東宝美術部から独立した東京創研。この会社が日本の秘宝館のセンスを確立したとされる。アングラで通好みと思われがちな秘宝館が、実は大手の関連企業によって作られたのは実に興味深い。
「東京創研は『ランカイ屋』といわれる博覧会の企画・設計・施工をする会社で、大阪万博にも関わりました。70年代、全国で開催された地方博覧会の施工の合間に秘宝館を作っていたんです。だから東京創研の作った秘宝館は来場者が飽きずに見られるよう、展示順路にドラマ性を持たせて設計されてます。また東京創研は女性客を重視していました。基本的に秘宝館は女性のための娯楽施設だったんですよ。現存する熱海秘宝館はこの東京創研が設計に関わってます」(村上氏)
90年代以降、団体旅行が減り、個人旅行が主流の時代になると、秘宝館は廃れていった。巨大な展示施設のメンテナンスも経営に負担だったようだ。だが、この重厚長大でエログロな娯楽施設は、間違いなく高度成長が生んだ昭和元禄のシンボルだった。
「真のクール・ジャパンだと思います。現代史の歴史的建造物として保存するべきですよ」(村上氏)
閉館した嬉野武雄観光秘宝館の跡地は更地となり、太陽光発電施設が建設中。性の宮殿転じて無機質なソーラーパネル畑に。この転換こそ昭和と平成の文化ギャップを象徴する。
取材・文/藤木TDC
撮影/加藤隼介
(『宝島』12月号より)
<写真>
書体までがいかにも秘空宝館テイストな看板も貴重な昭和アートだった。
<写真>3月で閉館した「嬉野秘宝館」展示物の数々
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嬉野武雄観光秘宝館の7000万円かけた「ハーレム」。宮殿と噴水の中で全裸の男女が交歓する巨大パノラマだが、閉館とともに破壊された。
■残りはわずか2館 鬼怒川秘宝殿も危ない!
男女の肉体構造の違いや生殖の神秘、そして各地に点在する性的風習、民芸。それらを立体造形物にして巨大な建物の中でパノラマ的に展示した施設が「秘宝館」だ。性器やセックスそのものを表現した展示は刺激的だが、大笑いできるユーモアがある。
団体バス旅行がブームだった頃が最盛期で、全国に約20カ所あったとされる。
しかし今年3月、佐賀県嬉野市にあった西日本最大の施設「嬉野武雄観光秘宝館」が閉館、日本に残存する秘宝館は「鬼怒川秘宝殿」と「熱海秘宝館」のわずか2館となってしまった。
「実物を見ようと考えるなら、まず鬼怒川秘宝殿に行くべきです。来館者が少なく、今もっとも閉館の危機が迫っているからです」
警鐘を鳴らすのは映画監督の村上賢司氏。秘宝館マニアであり、これまで伊勢の「元祖国際秘宝館」や定山渓谷温泉の「北海道秘宝館」をDVDに撮った。12月には前出の「嬉野武雄観光秘宝館」のドキュメンタリーDVDが発売になる。
「経営母体がしっかりしている熱海秘宝館は新しい装置を導入するなど、リニューアルを続けていて、当分大丈夫。鬼怒川と熱海は建造に携わった会社が違うので、見比べると設計思想の違いが分かる。だから鬼怒川を見ておいたほうがいいんです」(村上氏)
■大手企業が建造に関わり女性客を重視して設計
最初の秘宝館は1972年に造られた伊勢の「元祖国際秘宝館」だ。同館の展示物には島津製作所の子会社である京都科学標本が携わり、医学標本の精巧さが際立った。対して、後に各地に続々と作られた秘宝館の多くを手がけたのは、東宝美術部から独立した東京創研。この会社が日本の秘宝館のセンスを確立したとされる。アングラで通好みと思われがちな秘宝館が、実は大手の関連企業によって作られたのは実に興味深い。
「東京創研は『ランカイ屋』といわれる博覧会の企画・設計・施工をする会社で、大阪万博にも関わりました。70年代、全国で開催された地方博覧会の施工の合間に秘宝館を作っていたんです。だから東京創研の作った秘宝館は来場者が飽きずに見られるよう、展示順路にドラマ性を持たせて設計されてます。また東京創研は女性客を重視していました。基本的に秘宝館は女性のための娯楽施設だったんですよ。現存する熱海秘宝館はこの東京創研が設計に関わってます」(村上氏)
90年代以降、団体旅行が減り、個人旅行が主流の時代になると、秘宝館は廃れていった。巨大な展示施設のメンテナンスも経営に負担だったようだ。だが、この重厚長大でエログロな娯楽施設は、間違いなく高度成長が生んだ昭和元禄のシンボルだった。
「真のクール・ジャパンだと思います。現代史の歴史的建造物として保存するべきですよ」(村上氏)
閉館した嬉野武雄観光秘宝館の跡地は更地となり、太陽光発電施設が建設中。性の宮殿転じて無機質なソーラーパネル畑に。この転換こそ昭和と平成の文化ギャップを象徴する。
取材・文/藤木TDC
撮影/加藤隼介
(『宝島』12月号より)
<写真>
書体までがいかにも秘空宝館テイストな看板も貴重な昭和アートだった。
<写真>3月で閉館した「嬉野秘宝館」展示物の数々