大学に入学してから始まった“怪魚”との格闘。大学院を卒業しても“テーマ”は変わらなかった。怪魚を求めて今年で10年。訪れた国は31。700日を海外の水辺で過ごしてきた男の青春期。

 大学に入学し、“怪魚”を求めて世界を旅するようになってから、今年でちょうど10年になる。これまでに31カ国を訪れ、およそ700日を海外の水辺で過ごしてきた。
 僕がおもに興味を惹かれるのは、“怪魚”と呼ばれる淡水の巨大魚だ。海の大物釣りには、あまり興味がない。たとえトローリング(曳き釣り)で何百キロのカジキを釣ろうが、それは操船した船長のエモノであって、釣り人(自分)の手柄ではないと考えるからだ。
 ひとり水辺に立ち、そこに潜む“ヌシ”と対峙(たいじ)したい。そいつを抱きしめたとき、“勝った”と思える。それは、いち生物(ホモサピエンス)の♂として、エモノを得たときの本能的な“勝った”であり、また一方で、現代人(日本人)として、押し付けられてくるナニカに対しての“勝った”なのである。
 いつの頃からか、“怪魚ハンター”と呼ばれるようになった。社会人になって以来3年、収入の100%を、“怪魚”にまつわること(原稿料、講演料、自社ブランドの釣竿販売等)で得て生き延びている。よく誤解されるが、スポンサーはいないし、どこか芸能事務所に所属しているわけでもない。2013年は、海外に10回釣行し、1年の3分の1を海外で過ごした。“社長兼雑用”でなければ、こうはいかなかっただろう。
 大学院を卒業後、東京の小さなアウトドア系出版社で、釣り雑誌のライターとして働いた。「東北大の大学院まで出て……」という声も、なくはなかった。時間的自由を確保する(旅を続ける)ためには、あらゆることを自分で“やるしかなかった”。
 その経験の結果として、親の病気をキッカケに地元・富山にUターンしなければならなくなったとき、東京のライター業はそのままに、自分ひとりの小さな会社を起業することができた。世界基準のスケールで見たとき、富山と東京なんて隣町みたいなもの。ネットが発達した現代社会ならなおさら。であれば「住むのは物価の安いほう(田舎)がいい」とあっさり移住した。田舎には面白い若者は少なかった。ローカル局は、僕を待っていた(笑)。世間では“ノマド”や“ダブルローカル”などのライフスタイルが注目され始めた。ちょうどその頃だったと思う。NHKがダイオウイカで高視聴率をとり、直後からあらゆる依頼が急増した。そのうちの一つが『情熱大陸』という番組だった。放送後あらゆる依頼が、激増した。
 すべては旅を続けるため、その結果だ。やりたいことに情熱を持って取り組むとき、人間っていうのは受け身のときの何倍も力が出て、あらゆるラッキーを引き寄せて、そしてその良い連鎖はつながっていく―――それが、僕が怪魚釣りから教わった事だ。
「こんな“怪魚ハンター”なんかで食えるんだ〜。人生なるようになる。気がする(笑)」
 そんな他人事のような気楽さが、今の僕にある。そして今、「それが『人生で必要なこと』なのかもしれない」と思った。

(特別寄稿/小塚拓矢)

怪魚1究極の怪魚、ムベンガ。「世界最大のピラニア」という表現がわかりやすいだろう。その異形ゆえ、テレビでは“殺人魚”として扱われることもあるが、現地でそんな情報はない。日本を発って53日目、ついに手にする。心労で9キロ痩せた(コンゴ、2009年)