■「痴漢!」に間違われて人生を終えることに
 2009(平成21)年12月の新宿駅構内で、一人の男性が痴漢容疑をかけられ、違法な
取り調べの後に自らの命を絶った。男性の名は原田信助さん(25歳・当時)。新宿駅で
酒に酔った大学生グループとすれ違った際、女子大生から「お腹(なか)をさわられた!」
と叫ばれると、連れの男子学生にとびかかられ、馬乗りで殴り続けられてしまう。

 携帯電話で警察に助けを求めたものの、駆けつけた警官は信助さんを痴漢犯人と断定。
西口交番を経て新宿署へ連行し、翌朝まで拘束。潔白を主張する信助さんに、刑事は
「納得できなければ裁判を起こせ」と言い放った。激しい暴行と深夜までの取り調べの後、
早朝に身柄を解放された信助さんは、自宅に戻らず、地下鉄のホームから電車に身を投じ、
自らの命を絶ってしまう。

 はたして、新宿署は一カ月後、信助さんを痴漢犯人と断定し、東京都迷惑防止条例違反で
送検。死人に口なしとばかりに、事件の終結を図ったのだ(被疑者死亡により不起訴)。
一連の警察の動きに不審感を抱いた信助さんの母・尚美さんは、裁判所を通して取り調べ調書
の開示請求を行う。結果は驚愕すべきものだった。

 「お腹を触られた」と騒いだ女子大生が、犯人を見間違えたと証言していることが判明した
のである。新宿署は被害者証言もないままに、事件をでっちあげて送検をしたことになる。

■ICレコーダーに残る刑事の違法捜査の様子
 実は、信助さんは刑事からの取り調べの様子を、持ち合わせていたボイスレコーダーで
すべて録音していた。この記録から、信助さんが、手に付着した繊維成分を調べる繊維鑑定を
求めたにもかかわらず、刑事が拒否する様子が残されている。

 しかし、06年に起きた防衛医科大学教授の痴漢冤罪事件で、教授が世間から誹謗(ひぼう)中傷
を受けて自殺未遂まで起こし、さらに09年4月の最高裁判決で無罪が確定したことを受け、
警察庁では全国の警察本部に対し、痴漢事件では容疑者から繊維片や汗などの客観証拠を
採取し、鑑定を実施するよう通達している。刑事は信助さんの求めも通達も無視したことになる。

 また、「駅の防犯カメラを確認してほしい」という信助さんの要求にも刑事はこたえず、
「あんたがやったんだろ」と責めるだけ。「家族と連絡をとりたい」という要求も退けており、
これについては刑法194条の特別公務員職権濫用にあたると指摘されている。

■証拠提出をなぜか拒み続けている警察
 母の尚美さんは、死んだ信助さんを犯人に仕立て上げた東京都(警視庁)を相手取り、
11年4月に国家賠償請求の訴えを起こした。既に11回の公判を終えているが、警察側は
確固たる証拠を提出することもなく、ただ訴訟だけが長引く状態が続いている。

 母の尚美さんが言う。
「証拠を出さないのではなく、ないから出せないのでしょう。なにより、信助を犯人とする唯一の
根拠となるはずの駅構内の防犯カメラの映像の提出を、警察はいまだに拒み続けています」

 決定打となる映像証拠が本当にあるならば、なぜ警視庁は隠し続ける必要があるのか。
それどころか、尚美さん側が昨年検察に求めた開示請求により、新宿署が事件当時に検察に
送致した信助さんを犯人と断定した300枚にもわたる記録には、痴漢をした証拠となる画像や
映像は一点もなかったことがわかっている。

 ここでも見られるのは、自らの間違いを認められないという警察の体質だ。いたずらに裁判の
時間だけが過ぎることで、苦しみが増すのは原告の母・尚美さんである。多額の費用と時間、
そして耐え難い心痛が訴訟にはともなうからだ。市民生活を守るべき警察に、その矜持(きょうじ)
は残っているのだろうか。次回は第12回目の口頭弁論が、7月9日に東京地裁で開かれる予定だ。

取材・文/オフィス三銃士、浮島さとし、本誌編集部