大売り出しのデパート屋上にのどかに浮かぶアドバルーンは、昭和の経済成長の
シンボルだった。ただ、それが日本人の発明品だと知る人は意外に少ないのではないか。

■高層ビル増加の一途で減りゆく気球広告
 気球自体は18 世紀末に考案されたが、1921年(大正10年)、その小型のものに文字の
入った幟(のぼり)を下げて浮かせることを考案したのは、広告代理業を営む水野勝蔵という
日本人であった。またたくうちに脚光を浴びたアドバルーンだが、その効力を全国に知らしめる
のは36年(昭和11年)2月の陸軍クーデター、いわゆる二・二六事件で反乱兵の帰隊を促す
「勅命下る 軍旗に手向ふな」の文字幕をなびかせた時だった。当時の写真が歴史教科書に
採用されているから、見覚えのある読者も多かろう。

 それから幾星霜(いくせいそう)、日本中の、否、世界中の記念イベントで浮揚され続けた
アドバルーン。ところが最近、見かけることが少なくなったと思いませんか?
「たしかにアドバルーン業界は縮小しています。高度成長時代が最盛期で、東京には約40社
ありました。今は10社くらいじゃないでしょうか」

 説明するのは銀星アド社代表取締役・水野孝則さん。発明者・勝蔵氏の孫で、歴史ある
元祖アドバルーン会社を継ぐ三代目社長だ。

 「都心は高層建築が多く見えづらいため、現在はほとんど揚げていません。デパートは
屋上遊園地など広いスペースがなくなって、気球が揚げられなくなりました。ただ郊外では
まだまだ需要があり、スーパーやパチンコ店の開店、住宅展示場や学園祭などで仕事を
させていただいてます」

アドバルーン
<昭和の経済成長のシンボルだった気球広告>





■アドバルーン業界が抱える最大の難題とは?
 景気低迷による広告経費削減や、バルーンに充填するヘリウムガスの価格高騰も
痛手だった。しかしアドバルーン業界最大の問題は別のところにある。

 「後継者不足なんですよ。アドバルーンは事故防止のため安全に操作できる人間が
現場に常駐するよう条例で決められています。気球の浮揚や係留は熟練のいる作業なので、
アルバイトの初心者にはまかせられない。現場には私自身が出向いて、朝から夕方まで
監視してます。真夏なんか重労働ですよ」(水野社長)

 バルーンと文字幕の製作、そして掲揚だけで終わるわけではない。強い雨が降ったら降ろし、
風が吹いたら移動させる。気象変化のたびにロープを操り原始的な気球操作をするのが
アドバルーン会社の仕事だ。この職能ゆえに広告だけでなく、気象観測や環境調査などの
気球掲揚を大学や自治体から依頼される。競合相手のほとんどない希少な専門職だ。

 「だから費用のうち人件費の割合が大きいんです。昔は『揚げ屋』と呼ばれた一種の
職人仕事ですよ。僕は今、40代ですが業界では若手の方です。多いのは50代、60代。
20代でアドバルーンやってる人は少ないと思いますよ」(水野社長)

 宣伝効果よりも「懐かしいから」の理由で依頼されるケースが増えた。
「老舗企業の創業祝で、昔ながらの赤白の気球を揚げてくれと言われることが多いんですよ」
(水野社長)

 海外からの参入はない。バルーン製作は手作業で、原型からキャラクターの形に作り
あげるのもまた職人芸だからだ。発祥、そして伝統の蓄積。日本人はアドバルーンを
もっと誇りに思っていいのではないか。

取材・文/藤木TDC
撮影/金子靖

アドバルーン2
<様々なアドバルーン>