日本人女性のがん罹患部位の1位は乳房と言われ、乳がん検診への意識は年々高まって
いる。だが「過剰診断のリスクも多い」と指摘するのは、“がんの裁判官”とも呼ばれる
病理医の福嶋敬宜教授である。

 がんなどの病気の疑いがある組織や細胞を顕微鏡で見て、病気を診断する「病理医」として、
多くの症例を診断してきた自治医科大学の福嶋敬宜教授は、「かつて、乳がんを“作り出す”
医者がいた」というショッキングな話を語ってくれた。静岡県清水市(現:静岡市清水区)で、
「乳がんは清水の風土病」と言われていた時期があるというのだ。

■「乳がんではない」のに次々と乳房を摘出手術
 「この地域にあるA病院には『乳がんの名医』として評判の医師がいました。1990年当時、
全国の乳がん発生率は人口1万人あたり2人程度とされていたのに対し、人口24万人の
清水市では、この病院だけで90人も乳がんの手術を受けていたらしいのです」

 その医師が執刀した患者の術後再発率は、ほぼ0%だった。しかも「たくさんの乳がん患者を
治し、救っている名医」として評判になっていたという。

 「しかし、この実績の背景には、とんでもない事実が隠されていました。92年に、この病院で
乳がん手術を受けた患者が、術後の後遺症をめぐって訴訟を起こしたのですが、取り寄せた
カルテには、がんの記載など一切なく、患者は乳がんではないのにもかかわらず、乳房摘出手術を
受けた疑いが出てきたのです」

 その後の調査で、この医師から乳がんと宣告された患者の中から、他の病院では「乳がんでは
ない」と診断されたケースが次々と出てきて、「乳がんの名医」は一転、“乳がんを作り出す医師”に
なってしまったというのだ。

■肺がん、乳がんに多い過剰な診断、過剰な治療
 なぜ、このようなことが起こったのか。
「現在のがん診療では、緊急時や例外的な症例を除いて、病理診断のエビデンスなしには
外科医が患者の体にメスを入れることはほとんどありません。しかし、一方でそれに対して
明確な規則があるわけではなく、実際のところは担当医の裁量に任されているのです。
このため “作られたがん患者”が生まれてしまう可能性があると言えるのです。A病院の
ような例は論外ですが、日本の医療現場において過剰な診断(オーバー・ダイアグノーシス)、
過剰な治療(オーバー・トリートメント)は、新たな問題のひとつです」

 日本のがんの判断基準は世界に比べてどうなのか。福嶋教授が解説する。
「日本の内視鏡検査や画像診断のレベルは高く、そのため非常に早期のがんが見つかる
ようになりました。胃がんの診断や治療などは、まさに世界のトップレベルだと思います。
しかし、その一方、がんの一歩手前の状態やがんに似た良性病変も『がん』として扱われて
しまう危険性があります。そのような病変は実はそのあともほとんど進行しないものかも
しれないのです。その患部だけを小さく切り取るような治療だけであれば、あまり問題は
ありませんが、過剰な治療によって必要以上の肉体的・経済的ダメージを被ることもありえます。
そのような行き過ぎた診断・治療に警鐘を鳴らす意味で、私は『作られたがん患者』と
表現することもあります。特に、多くの小さながんが見つかるようになった胃がん、
肺がんや乳がんに多い問題と言えるでしょう」

■3分の1以上が過剰診断の疑い「マンモ検診」
 2009年7月、国際的な医学雑誌『ブリティッシュ・メディカル・ジャーナル』に掲載された
調査結果に「注目すべきデータがある」と福嶋教授が言う。

 「英国、カナダ、オーストラリア、スウェーデン、ノルウェーでの乳がん検診データを評価した
ところ、マンモグラフィー検診で見つかった乳がんのおよそ半数(52パーセント)は過剰診断で、
また上皮内がん(がんが乳管内にとどまっている段階)を除外して浸潤性(がん細胞が乳管の
周囲にも拡がった段階)の乳がんだけを見ても、過剰診断の割合は35パーセントと推定される、
というのです。つまり、マンモグラフィー検査で異常が認められた患者の3分の1以上が過剰診断
にあたる、ということです。この論文は海外の施設でのデータであり、最終的な結果(病理診断結果)
が書かれていません。多少注意して解釈すべきではあるのですが、過剰診断への注意喚起の
役割を果たす報告と言えるでしょう」

 では、過剰診断は「ある」ものだとしたうえで、検診を受ける側が気をつけるべきこととは何か。
「検査結果がたとえ『がん』だったとしても、たとえば乳がんなどでは緊急事態というのはまず
生じないと考えてよいでしょう。ですから、過剰に心配せず、それぞれの検査結果をひとつずつ
確認し、理解しながら進めていくことが大切です。そして、治療に入る前には必ず病理診断の
結果を説明してもらって下さい」

取材・文/新家美佐子

乳がん
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