■ブリヂストン創業者の娘として知られる資産家
2月11日、鳩山由紀夫元首相の母、鳩山安子さんが都内の病院で死去した。90歳だった。
「安子さんは、民主党の“陰のオーナー”でした」と、葬儀に参列した元大手紙政治部記者が語る。
「夫の威一郎氏は元外相、夫の父は鳩山一郎元首相。そして2人の息子も政治家となった。
安子氏は戦後憲政史の語り部でもあり、存在そのものが伝説でした。大手新聞社でも彼女を
取材する機会はそうありませんでしたが、政治家を取り巻く環境が変化したいま、半世紀以上に
わたって権力の大奥に行き続けるという女性は、もう出てこないように思います」
■戦前、受験部屋に冷房があった実家
“政界のゴッドマザー”と呼ばれた鳩山安子さんは1922年、福岡県・久留米市生まれ。
ブリジストン創業者・石橋正二郎氏の長女として生まれた。教育熱心だった石橋氏は東京の高校
(東京府立第二高等学校、現・都立竹早高校)を受験させるため、まだ小学校(現在の中学)に
通っていた安子さんに家庭教師をつけると同時に、当時(1934年)としては極めて珍しかった
「冷房」を安子さんの勉強部屋に設置させたほどだった。
石橋氏と鳩山一郎元首相の親交からお見合い話に発展し、安子さんと鳩山威一郎氏は戦前の
1942年、帝国ホテルで結婚式を挙げる。安子さんが21歳、大蔵省の役人だった威一郎氏が
25歳のときだった。終戦の「玉音放送」を、安子さんは疎開先の軽井沢で聞いた。南洋のトラック諸島に
出征していた威一郎氏が無事に帰宅した際、父である鳩山一郎が出迎え、抱きしめたシーンを、
後に安子さんは「忘れられない」と語っている。
■2人の息子をどう育てたか
大蔵省事務次官にまで登り詰めた夫の威一郎氏に対し「選挙に出てみたら」と強く勧めたのは
安子さんと、田中角栄元首相だった。1973年5月、田中角栄総理(当時)とゴルフに出かけた
威一郎氏は帰ってくると安子夫人にこう告げたという。
「決めたよ」
安子さんはこう返した。
「ああ、お決めになったんですか・・・」
「そうだ」
こうして鳩山威一郎氏は政界に転身。福田内閣で外相をつとめ、安子さんは海外の要人夫妻と
交流を深める毎日を送った。由紀夫と邦夫、2人の息子は放任主義で育てた。とはいっても
家庭教師、お手伝いさんのいる生活。邦夫は家庭教師役の学生に蝶の生態を教えられ興味を持ち、
その後、日本有数のコレクターとなった。ともに東大に進学した由紀夫と邦夫は、祖父、父と同じ
政治家の道を歩むことになる。
1986年の衆参同時選挙では、威一郎氏、由紀夫氏、邦夫氏がトリプル当選。由紀夫氏の選挙区、
北海道で、髪に積もる雪を払いながら安子さんは必死で応援演説を続けた。このとき一家3人での
出馬に反対した夫・威一郎氏をなだめ、弟に10年遅れて政界入りを決意した由紀夫を支えたのが
安子さんだった。日ごろ政治信条には口出ししない安子さんであったが、1996年の「住専国会」で
国会が空転した際、当時新進党の邦夫氏に向かって、安子さんは強く言った。
「予算が決まらなければ、お困りになっている方がたくさんいらっしゃる。それをどうお考えですか」
邦夫氏はその後新進党を離れ、兄・由紀夫とともに民主党結党に合流する。
■潤沢な資金力と資金提供問題
数十億円とも言われた新党結成資金−−その資金源は、安子さんの保有する、ブリジストン株ほか
莫大な資産だった。政治キャリアが短かった鳩山由紀夫氏が急速に頭角を現し、やがて民主党政権
の初代総理に就任するのも、まさにこの「オーナー」の地位がモノを言ったからに他ならない。
民主党の前に由紀夫氏らが立ち上げた「新党さきがけ」も、その実質的オーナーは安子氏だった。
90年代後半から、安子さんはしばしば「政界のゴッドマザー」と呼ばれ、政権交代を狙う民主党の
最大のスポンサーとして認知されていった。
後に問題となる「偽装献金疑惑」は、2002年ごろから、毎月1500万円の資金が安子さんから
由紀夫氏と邦夫氏に渡っていたというもので、それとは別に、鳩山兄弟は安子さんから2011年までに
それぞれ約42億円の現金、株、不動産の贈与を受けていた。その資金は、まさに4代にわたる
鳩山ブランドの「力の源泉」でもあったが、この献金問題が民主党の基盤を危うくするところまで大きな
騒ぎとなったとき、安子氏はプッツリと政治の世界との関わりを絶った。
冒頭の元記者が語る。
「いまでも、由紀夫さんはカラオケで『おふくろさん』を歌うよね。父であった威一郎さんは忙しすぎて
家にいなかったし、ずっと反発していた。由紀夫氏に変わらぬ愛を注いでくれたのは母親の安子さん
であって、これは議員を辞めたいまでも変わらぬ気持ちだと思いますよ」
■いま浮上する巨額相続税問題
安子さんの死去で、鳩山兄弟に降りかかるひとつの難題は巨額の相続税だ。安子さんは、
父・石橋正二郎から相続した時価300億円以上のブリヂストン株や、文京区の一等地、音羽にある
鳩山会館の土地など、少なくとも400億円以上の財産を保有していたと言われる。生前贈与された分
を除いても、由紀夫氏、邦夫氏が安子さんの遺産を相続するためにはそれぞれ50億円から60億円
の税金を支払う必要があると見られ、そうなると一族の総資産は相当目減りすることになる。
政権を支えた巨額の資産はいま、逆に大きな負担となりつつあるのだ。
「4代にわたり日本の特権階級の象徴であり続けた鳩山一族ですが、由紀夫氏と邦夫氏の後の
世代は、残念ながら日本を担う政治家としてのスケール感を持ち合わせていない。ゴッドマザーの
死去が鳩山家のターニングポイントとなる可能性は十分に考えられます」(前出の元記者)
世に貧富の差はあれど、時代だけは何人にも公平に、容赦なく過ぎ去っていく。
<写真>1996年、音羽の「鳩山御殿」にて
2月11日、鳩山由紀夫元首相の母、鳩山安子さんが都内の病院で死去した。90歳だった。
「安子さんは、民主党の“陰のオーナー”でした」と、葬儀に参列した元大手紙政治部記者が語る。
「夫の威一郎氏は元外相、夫の父は鳩山一郎元首相。そして2人の息子も政治家となった。
安子氏は戦後憲政史の語り部でもあり、存在そのものが伝説でした。大手新聞社でも彼女を
取材する機会はそうありませんでしたが、政治家を取り巻く環境が変化したいま、半世紀以上に
わたって権力の大奥に行き続けるという女性は、もう出てこないように思います」
■戦前、受験部屋に冷房があった実家
“政界のゴッドマザー”と呼ばれた鳩山安子さんは1922年、福岡県・久留米市生まれ。
ブリジストン創業者・石橋正二郎氏の長女として生まれた。教育熱心だった石橋氏は東京の高校
(東京府立第二高等学校、現・都立竹早高校)を受験させるため、まだ小学校(現在の中学)に
通っていた安子さんに家庭教師をつけると同時に、当時(1934年)としては極めて珍しかった
「冷房」を安子さんの勉強部屋に設置させたほどだった。
石橋氏と鳩山一郎元首相の親交からお見合い話に発展し、安子さんと鳩山威一郎氏は戦前の
1942年、帝国ホテルで結婚式を挙げる。安子さんが21歳、大蔵省の役人だった威一郎氏が
25歳のときだった。終戦の「玉音放送」を、安子さんは疎開先の軽井沢で聞いた。南洋のトラック諸島に
出征していた威一郎氏が無事に帰宅した際、父である鳩山一郎が出迎え、抱きしめたシーンを、
後に安子さんは「忘れられない」と語っている。
■2人の息子をどう育てたか
大蔵省事務次官にまで登り詰めた夫の威一郎氏に対し「選挙に出てみたら」と強く勧めたのは
安子さんと、田中角栄元首相だった。1973年5月、田中角栄総理(当時)とゴルフに出かけた
威一郎氏は帰ってくると安子夫人にこう告げたという。
「決めたよ」
安子さんはこう返した。
「ああ、お決めになったんですか・・・」
「そうだ」
こうして鳩山威一郎氏は政界に転身。福田内閣で外相をつとめ、安子さんは海外の要人夫妻と
交流を深める毎日を送った。由紀夫と邦夫、2人の息子は放任主義で育てた。とはいっても
家庭教師、お手伝いさんのいる生活。邦夫は家庭教師役の学生に蝶の生態を教えられ興味を持ち、
その後、日本有数のコレクターとなった。ともに東大に進学した由紀夫と邦夫は、祖父、父と同じ
政治家の道を歩むことになる。
1986年の衆参同時選挙では、威一郎氏、由紀夫氏、邦夫氏がトリプル当選。由紀夫氏の選挙区、
北海道で、髪に積もる雪を払いながら安子さんは必死で応援演説を続けた。このとき一家3人での
出馬に反対した夫・威一郎氏をなだめ、弟に10年遅れて政界入りを決意した由紀夫を支えたのが
安子さんだった。日ごろ政治信条には口出ししない安子さんであったが、1996年の「住専国会」で
国会が空転した際、当時新進党の邦夫氏に向かって、安子さんは強く言った。
「予算が決まらなければ、お困りになっている方がたくさんいらっしゃる。それをどうお考えですか」
邦夫氏はその後新進党を離れ、兄・由紀夫とともに民主党結党に合流する。
■潤沢な資金力と資金提供問題
数十億円とも言われた新党結成資金−−その資金源は、安子さんの保有する、ブリジストン株ほか
莫大な資産だった。政治キャリアが短かった鳩山由紀夫氏が急速に頭角を現し、やがて民主党政権
の初代総理に就任するのも、まさにこの「オーナー」の地位がモノを言ったからに他ならない。
民主党の前に由紀夫氏らが立ち上げた「新党さきがけ」も、その実質的オーナーは安子氏だった。
90年代後半から、安子さんはしばしば「政界のゴッドマザー」と呼ばれ、政権交代を狙う民主党の
最大のスポンサーとして認知されていった。
後に問題となる「偽装献金疑惑」は、2002年ごろから、毎月1500万円の資金が安子さんから
由紀夫氏と邦夫氏に渡っていたというもので、それとは別に、鳩山兄弟は安子さんから2011年までに
それぞれ約42億円の現金、株、不動産の贈与を受けていた。その資金は、まさに4代にわたる
鳩山ブランドの「力の源泉」でもあったが、この献金問題が民主党の基盤を危うくするところまで大きな
騒ぎとなったとき、安子氏はプッツリと政治の世界との関わりを絶った。
冒頭の元記者が語る。
「いまでも、由紀夫さんはカラオケで『おふくろさん』を歌うよね。父であった威一郎さんは忙しすぎて
家にいなかったし、ずっと反発していた。由紀夫氏に変わらぬ愛を注いでくれたのは母親の安子さん
であって、これは議員を辞めたいまでも変わらぬ気持ちだと思いますよ」
■いま浮上する巨額相続税問題
安子さんの死去で、鳩山兄弟に降りかかるひとつの難題は巨額の相続税だ。安子さんは、
父・石橋正二郎から相続した時価300億円以上のブリヂストン株や、文京区の一等地、音羽にある
鳩山会館の土地など、少なくとも400億円以上の財産を保有していたと言われる。生前贈与された分
を除いても、由紀夫氏、邦夫氏が安子さんの遺産を相続するためにはそれぞれ50億円から60億円
の税金を支払う必要があると見られ、そうなると一族の総資産は相当目減りすることになる。
政権を支えた巨額の資産はいま、逆に大きな負担となりつつあるのだ。
「4代にわたり日本の特権階級の象徴であり続けた鳩山一族ですが、由紀夫氏と邦夫氏の後の
世代は、残念ながら日本を担う政治家としてのスケール感を持ち合わせていない。ゴッドマザーの
死去が鳩山家のターニングポイントとなる可能性は十分に考えられます」(前出の元記者)
世に貧富の差はあれど、時代だけは何人にも公平に、容赦なく過ぎ去っていく。
<写真>1996年、音羽の「鳩山御殿」にて