福島第一原発事故から1年7カ月。20キロメートル圏内の富岡、大熊、双葉町、そして浪江町の
一部は警戒地区に指定され、いまだ放射線量が高いために立ち入りが許可されていない。今回、
取材班は一時的に自宅へと戻ることができた住民に同行した。
国道6号を北上して町を目指す。警戒区域の入り口である富岡町は多くの警察官とその車両で
埋め尽くされ、異様な雰囲気に包まれていた。ここで一旦クルマを止められ、関西弁を喋(しゃべ)る
警察官から念入りに通行証をチェックされる。彼らの制服をみると「広島県警察」の表示。人手不足
のため全国から警察官がかり出されているのだろう。
■計測された数値は上限を超えてしまった
通行が許可されると、緊張が高まる。たまに行き交うのは巡回中のパトカーと原発の復旧作業に
向かうと思われるクルマぐらいだ。しかもみな厳重なほどに防護服を着ている。まず向かったのが
大熊町。ここは双葉町と並び、福島第一原発が立地する町だ。地震で陥没した道路を避けながら、
背丈ほどに伸びた生い茂る草を横目に中心地へ向かう。町は地震の被害をほとんど受けておらず、
いますぐにでも帰れそうな民家も多かった。
だが、試しに持参したガイガーカウンターで放射線量を計測してみると、「9・99マイクロシーベルト」。
上限を振り切れてしまった。実際はどれほどなのか、考えただけで怖くなった。やはりここは昔のままの
町ではない。人が立ち入ってはいけない町になってしまったのだ。急いで移動した。
■手つかずのまま放置された死の町
その後、津波に見舞われた浪江町の請戸地区へ。以前そこに町があったという場所は更地となって
おり、かろうじて半壊状態の家が転々と残されているだけだった。いまだにガレキ処理はなされておらず、
内陸部には船が転がっている。ここだけは、あの日から時間が止まってしまったままだ。
そのまま浪江駅方面へクルマを走らせる。この町は旧家が多いためか、地震で1階部分が崩壊した
家がやたらと目にとまる。電柱も曲がったままだ。帰りがけに富岡町にも立ち寄った。富岡駅の駅舎は
津波でほぼ流され、残った線路にはそれを覆うほどの草木が生い茂り、錆(さ)びついたクルマが
転がっていた。
どの町も、復興へ手さえつけられていない。放射能汚染さえなければ、帰れる家はあるのに帰ることが
許されない。そう考えると住民の悲しみや、やりきれない思いが伝わってくる。非難住民のあいだでは、
あと5年は警戒地区に立ち入りができないともいわれている。家はもちろんだが、町も人が生活をして
いないと廃(すた)れていく。はたして5年後はどうなっているのだろうか、そう思いつつ町を後にした。
<写真>請戸地区を走行中にカラスの大群に出くわす。その場所には一体なにがあったのか・・・
取材・文/オフィス三銃士
一部は警戒地区に指定され、いまだ放射線量が高いために立ち入りが許可されていない。今回、
取材班は一時的に自宅へと戻ることができた住民に同行した。
国道6号を北上して町を目指す。警戒区域の入り口である富岡町は多くの警察官とその車両で
埋め尽くされ、異様な雰囲気に包まれていた。ここで一旦クルマを止められ、関西弁を喋(しゃべ)る
警察官から念入りに通行証をチェックされる。彼らの制服をみると「広島県警察」の表示。人手不足
のため全国から警察官がかり出されているのだろう。
■計測された数値は上限を超えてしまった
通行が許可されると、緊張が高まる。たまに行き交うのは巡回中のパトカーと原発の復旧作業に
向かうと思われるクルマぐらいだ。しかもみな厳重なほどに防護服を着ている。まず向かったのが
大熊町。ここは双葉町と並び、福島第一原発が立地する町だ。地震で陥没した道路を避けながら、
背丈ほどに伸びた生い茂る草を横目に中心地へ向かう。町は地震の被害をほとんど受けておらず、
いますぐにでも帰れそうな民家も多かった。
だが、試しに持参したガイガーカウンターで放射線量を計測してみると、「9・99マイクロシーベルト」。
上限を振り切れてしまった。実際はどれほどなのか、考えただけで怖くなった。やはりここは昔のままの
町ではない。人が立ち入ってはいけない町になってしまったのだ。急いで移動した。
■手つかずのまま放置された死の町
その後、津波に見舞われた浪江町の請戸地区へ。以前そこに町があったという場所は更地となって
おり、かろうじて半壊状態の家が転々と残されているだけだった。いまだにガレキ処理はなされておらず、
内陸部には船が転がっている。ここだけは、あの日から時間が止まってしまったままだ。
そのまま浪江駅方面へクルマを走らせる。この町は旧家が多いためか、地震で1階部分が崩壊した
家がやたらと目にとまる。電柱も曲がったままだ。帰りがけに富岡町にも立ち寄った。富岡駅の駅舎は
津波でほぼ流され、残った線路にはそれを覆うほどの草木が生い茂り、錆(さ)びついたクルマが
転がっていた。
どの町も、復興へ手さえつけられていない。放射能汚染さえなければ、帰れる家はあるのに帰ることが
許されない。そう考えると住民の悲しみや、やりきれない思いが伝わってくる。非難住民のあいだでは、
あと5年は警戒地区に立ち入りができないともいわれている。家はもちろんだが、町も人が生活をして
いないと廃(すた)れていく。はたして5年後はどうなっているのだろうか、そう思いつつ町を後にした。
<写真>請戸地区を走行中にカラスの大群に出くわす。その場所には一体なにがあったのか・・・
取材・文/オフィス三銃士