35歳を過ぎて生きている女は、全員偉いと私は思っている。『ヘルタースケルター』という映画のことを、
けなすのは簡単だ。なんで蜷川実花(にながわみか)の映画で主役張る女はみんなキメ台詞(ゼリフ)
をドスの効いた気取った声で言い、濡れ場でははすっぱなヤンキー風演技になってしまうのか。

 前半の緊迫感に対して後半のダルさは何だ。ダメなところはいくらでも挙げられる。でもそんな言葉で
この映画が撮られた意味を1ミリたりとも傷つけることはできない。村上龍の『トパーズ』が、クソ映画で
ありながらも、あの瞬間あのときにしか作れず、あの瞬間あれを必要としていた人にとって傑作であった
のと同じように、『ヘルタースケルター』は、今どうしてもこのような毒々しく俗っぽくめちゃくちゃに
きらびやかな形で作られなければならなかったのだ。これは、史上最大のクソ映画で、史上最高の傑作
である。

原作が世に出たとき、全身整形の主人公「りりこ」はモンスターだった。でも今ではそんなもの、
モンスターでも何でもない。「普通」だ。りりこは女の憧れる「なりたい女」のトップに君臨する。
すごいのは、このりりこを沢尻エリカが演じていて、りりこを駆逐する整形なしの天然美少女を水原希子
が演じていることだ。

P137沢尻

■品評され続ける運命−復讐するは女にあり
 老いること、誰からも相手にされなくなること、女としての価値を失い立場を失うこと、その恐怖からは
誰も救ってくれない。男でさえ、愛でさえ、その恐怖から救い上げてくれはしないのだ。「大勢の人間に
愛され、憧れられたい」という欲望を捨てない限り。彗星のごとく現れてはちやほやされて飽きられて
ゴミクズのように捨てられてゆくスターたちを、沢尻や水原に演じさせる蜷川実花の気持ちはどんなもの
だったのだろう。

 あの伝説の「別に……」記者会見で名を馳せた怪物をスキャンダラスな見せ物にしたいという意図では
なく、私には蜷川実花がこう言っているように聞こえる。「あなたを弄(もてあそ)び、好き勝手に品評して
傷つける観客に復讐せよ」と。死ぬほど努力してお金をかけて作り上げ維持したところで年を取れば
容赦なく奪われる「美しさ」を与えた神に、たとえ舞台を降りても女であり続ける限り他人から品評され
続ける運命に、復讐せよと言っているように聞こえる。美しさを失い、若さを失い、絶頂の人気を失い、
男から欲情されることを、愛されることを失い、女から憧れられる立場を失い、それでも女は地べたを
這(は)いずり回るようにして生きる。生きなければならない。そのキツ過ぎる現実を描くのに、
これ以上に適切な形があるなんて考えられない。過剰で、欠けていて、でもこの形しかない作品だった。

文/雨宮まみ