過激な発言とは裏腹に、ベールに包まれた人間・橋下徹の内面。人気番組「行列のできる法律相談所」出演時代から橋下氏を知る丸山和也参議院議員にその人物像を聞いた。
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〜参議院議員・弁護士 丸山和也氏インタビュー〜

橋下市長率いる「維新の会」に対する期待感が高まっている。
先日、僕は小沢さんの地元である岩手県に行ったけれども、大阪から遠く離れた地方であるにもかかわらず、県民の「維新の会」への関心は低いとは言えず、期待を込めた評価をする人が多かった。 

次期総選挙で「維新の会」がかなりの議席数を獲得する可能性は高い。ただし、その後彼らが外交や防衛の問題もある国政の舞台でどれだけ力を発揮できるかはまったくの未知数だ。
大阪都構想から見る限り橋下市長は大阪を競争力のある、富を稼ぐことのできる強い国際都市にすべきと考えている。それは僕も同じ考えだし、競争原理を導入すること自体は必ずしも間違いではない。

そのためには、涙をのんで何かを切り捨てるという場面もあっておかしくない。ただ、彼の政治姿勢から見えてこないのは、人間論とその延長上にある個々の人間に対する思いやりだ。これは、政治家自身の言葉や行動から滲み出るもので、政策とはまた違ったものだ。

『行列のできる法律相談所』に一緒に出演していたとき、こんな問題が出題されたことがあった。
それは「不動産売買において、過去に自殺があった物件の場合、それを告知する義務があるかどうか」といった趣旨だったと記憶している。
私は、不動産価格に本来無関係な自殺を結びつけることのほうが人間の尊厳を傷つける、差別的発想だという持論を持っていたので「不動産の価値と関係ないから告知する必要はない」と答えたが、彼は「自殺したのなら告知しなければいけない。そのために物件の価格が下がるのは仕方がない」という考え方だった。

法的な解釈は置くとして、なぜそのことを覚えているかというと、既成の概念に捉われない発想をすると思われがちの彼にしてはあまりに通俗的な考え方で失望したからであるが、ひとつの原因は彼の思想のなかに人間論が乏しいからだと感じた。

その後、彼が山口県の母子殺害事件で弁護団に対し懲戒請求を呼びかけたのを聞いて、僕は驚いた。
弁護士というのは、たとえば刑事事件の被告のように、罪を犯した人、世間から指弾されるようなことを誤ってしてしまった人をも弁護する。これはどのような者にも人としての尊厳を認めその上で公正に処罰せんとする思想であって近代法治国家の柱だ。
しかし彼は個人的な感情と弁護士の重い使命を区別できなかった。そのあたりに彼の人間観の未熟さが露呈していたと僕は思う。

もう一つ残念だったのは、4年前に大阪知事選に立候補した時のことで、僕も応援に行ったがその時彼が僕に大阪の知事は「貧乏クジかもしれませんよ」といったことがあったが、当選直後のインタビューでキャスターの安藤優子さんからその発言を確認された時にそのことを認めようとしなかった。

貧乏クジかもしれないと言ったことで世間の批判を受けると思い隠そうとしたんだろうが僕は「アレこいつ何言ってるのか」と思ったね。僕としては彼が貧乏クジでもやるからこそ値打ちがあると考えていたから。
堂々とそう言わないのにいささか失望し小さいと思ったね。つまり、本当のことより、マスメディアを通して表面的にどう受けとめられるかで判断したんだろう。
多分その前に福田元首相が、首相になるのは貧乏クジかもしれないと言って批判を浴びた前例があったから、それを気にしたのだろう。まあ大人気ないから僕はその場で敢えて突っ込まなかったが。

しかし、いずれにしてもリーダー論を考えるとき、彼の強権的な態度を、本当の意味での「強さ」と誤解してはいけない。あの一見過激な物言いも、知事、市長から職員へという主として上から下への流れである。

他方、彼は常に派手な話題を提供し続けなければ自分が普通の人に見られ期待されなくなるという難しいジレンマを抱えている。このような宿命的ジレンマを抱えながらも今後真に彼に求められるものは人間的な深み、即ち「人望」である。

そのためには、自分の言葉で「人間」を語れることだと思う。その時期が来たらじっくり話をしてみるのも悪くないと思っている。